・・・『全否定論法』或は『木に縁って魚を求むる論法』は痛快を極めている代りに、時には偏頗の疑いを招かないとも限りません。しかし『半肯定論法』は兎に角或作品の芸術的価値を半ばは認めているのでありますから、容易に公平の看を与え得るのであります。「・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・しかし直射光線には偏頗があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい階調から破ってしまうのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭は日表との対照で闇のようになってしまう。なんという雑多な溷濁だろう。そしてすべてそうしたことが日の当った・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ かつ拙者は貴所の希望の成就を欲する如く細川の熱望の達することを願う、これに就き少も偏頗な情を持ていない。貴所といえども既に細川の希望が達したと決定れば細川の為めに喜こばれるであろう。又梅子嬢の為にも、喜ばれるであろう。 そして拙者・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・の先頭に立つものではない、強い性格者であり認識の促進者たるべき人の多面性は語学知識の広い事ではなくて、むしろそんなものの記憶のために偏頗に頭脳を使わないで、頭の中を開放しておく事にある、と云っている。「人間は『鋭敏に反応する』ように教育・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・宣伝の必要のあるというのは、つまりその事がらがどこか偏頗であり、どこか無理がある事を証明するのだとすれば、結局宣伝というものは別に恐ろしいものでもなんでもなくなるわけである。むしろ適当な程度の宣伝が各方面からせり上げてそのすべての合力によっ・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・ ついでながら、断片的な通俗科学的読み物は排斥すべきものだというような事を新聞紙上で論じた人が近ごろあったようであるが、あれは少し偏頗な僻論であると私には思われた。どんな瑣末な科学的知識でも、その背後には必ずいろいろな既知の方則が普遍的・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・実際の真面目を言えば、常に能く夜を守らずして内を外にし、動もすれば人を叱倒し人を虐待するが如き悪風は男子の方にこそ多けれども、其処を大目に看過して独り女子の不徳を咎むるは、所謂儒教主義の偏頗論と言う可きのみ。一 女子は稚時より男・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問も・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・故に其子の男女長少に論なく、一様に之を愛して仮初にも偏頗なきは、父母の本心、真実正銘の親心なるに、然るに茲に女子の行末を案じて不安心の節あるやなしやと問えば、唯大不安心と言うの外なし。娘を人の家に嫁せしめて舅姑の機嫌に心配あり、兄公女公親類・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・法華信者が偏頗心で法華に執着する熱心、碁客が碁に対する凝り方、那様のと同様で、自分の存在は九分九厘は遊んでいるのさ。真面目と云うならば、今迄の文学を破壊する心が、一度はどうしても出て来なくちゃならん。 だから私の態度は……私は到底文学者・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
出典:青空文庫