・・・そして丹泉は意気安閑として、過ぐる日の礼を述べた後、「御秘蔵のと同じような白定鼎をそれがしも手に入れました」といった。唐太常は吃驚した。天下一品と誇っていたものが他所にもあったというのだからである。で、「それならばその品を視せて下さい」とい・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・東坡巾先生は叮嚀にその疎葉を捨て、中心部のわかいところを揀んで少し喫べた。自分はいきなり味噌をつけて喫べたが、微しく甘いが褒められないものだった。何です、これは、と変な顔をして自分が問うと、鼠股引氏が、薺さ、ペンペン草も君はご存知ないのかエ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・雪はもとよりべた雪だった。ト、下駄の歯の間に溜った雪に足を取られて、ほとほと顛びそうになった。が、素捷い身のこなし、足の踏立変えの巧さで、二三歩泳ぎはしたが、しゃんと踏止まった。「エーッ」 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したの・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・人によっては、神田神保町あたりを思い浮べたり、あるいは八丁堀の夜店などを思い出したり、それは、さまざまであろうが、何を思い浮べたってよい。自分の過去の或る夏の一夜が、ありありとよみがえって来るから不思議である。 猿簑は、凡兆のひとり舞台・・・ 太宰治 「天狗」
・・・ テーブルの横の台の上に、ガラスの水槽が一つ置いてあって、その中にただ一匹の美しい洋紅色をした熱帯魚が泳いでいた。ベタ・カンボジャという魚らしい。それがただ一匹で泳いでいるのが、このいったいににぎやかな周囲の光景に対比していかにもさびし・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・これに反して東京の夏には地方的季節風が相当強い南東風として発達しているためにそれが海陸風と合成され、もしこれがなければべた凪になるはずの夕方の時刻に涼しい南東がかった風を吹かせるらしい。その同じ季節風が朝方には陸風と打消し合って朝凪を現出す・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・ 象はのそのそ鍛冶場へ行って、べたんと肢を折って座り、ふいごの代りに半日炭を吹いたのだ。 その晩、象は象小屋で、七把の藁をたべながら、空の五日の月を見て「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。 どうだ、そ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」「喰べたいもんだなあ」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 そして玄関にはREST・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・大学士はマッチをすって火をたき、それからビスケットを出しもそもそ喰べたり手帳に何か書きつけたりしばらくの間していたがおしまいに火をどんどん燃してごろりと藁にねころんだ。夜中になって大学士は「うう寒い」と云・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・殊に愉快に食べたものならば実際消化もいいのだ。これをビジテリアン諸氏はどうお考であるか伺いたい。」 大へん温和しい論旨でしたので私たちは実際本気に拍手しました。すると私たちの席から三人ばかり祭司次長の方へ手をあげて立った人がありましたが・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫