・・・子爵はやはり微笑を浮べながら、私の言を聞いていたが、静にその硝子戸棚の前を去って、隣のそれに並べてある大蘇芳年の浮世絵の方へ、ゆっくりした歩調で歩みよると、「じゃこの芳年をごらんなさい。洋服を着た菊五郎と銀杏返しの半四郎とが、火入りの月・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・……御存じかも知れません、芳年の月百姿の中の、安達ヶ原、縦絵二枚続の孤家で、店さきには遠慮をする筈、別の絵を上被りに伏せ込んで、窓の柱に掛けてあったのが、暴風雨で帯を引裂いたようにめくれたんですね。ああ、吹込むしぶきに、肩も踵も、わなわな震・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・火鉢の向うに踞って、その法然天窓が、火の気の少い灰の上に冷たそうで、鉄瓶より低い処にしなびたのは、もう七十の上になろう。この女房の母親で、年紀の相違が五十の上、余り間があり過ぎるようだけれども、これは女房が大勢の娘の中に一番末子である所為で・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・で、辞退も会釈もさせず、紋着の法然頭は、もう屋形船の方へ腰を据えた。 若衆に取寄せさせた、調度を控えて、島の柳に纜った頃は、そうでもない、汀の人立を遮るためと、用意の紫の幕を垂れた。「神慮の鯉魚、等閑にはいたしますまい。略儀ながら不束な・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・二十一歳のときすでに法然の念仏を破折した「戒体即身成仏義」を書いた。 その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王寺、園城寺等京畿諸山諸寺を巡って、各宗の奥義を研学すること十余年、つぶさに思索と体験とをつんで知恵のふくらみ、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・こそ自発的に読書への欲求を促すものである。法然はその「問い」の故に比叡山で一切経をみたびも閲読したのである。 書物は星の数ほどある。しかしかような「問い」をもってたち向かうとき、これに適切に答え得る書物はそれほど多いものではないのである・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・その点は、なにとぞ御放念下さい。私は、けさの簡単なお葉書のお言葉に依って、私の身の程を、はっきり知らされたのです。かえって有難く思って居ります。こうして書いているうちにも、だんだんはっきり判って来ます。つまり、けさ私がお葉書をいただいて、そ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・その点は、御放念下さい。なおまた、私の人格が完成してから逢って下さるのだそうですが、いったい人間は、自分で自分を完成できるものでしょうか。不一。」 やっぱり小説家というものは、うまい事を言うものだと思いました。一本やられたと、くやしく思・・・ 太宰治 「恥」
・・・例えば第三十九段で法然上人が人から念仏の時に睡気が出たときどうすればいいかと聞かれたとき「目のさめたらんほど念仏し給へ」と答えたとある。またいもがしらばかり食った盛親僧都の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・「いい出来だ、これでお天気さえよきゃあ豊年だぞい」 善ニョムさんは、幸福だった。馬小屋の横から一対の畚を持ってくると、馴れた手つきでそのツカミ肥料を、木鍬で掻い込んだ。「ドッコイショ――と」 天秤の下に肩を入れたが、三四日も・・・ 徳永直 「麦の芽」
出典:青空文庫