・・・ 彼は、彼の転換した方面へ会話が進行した結果、変心した故朋輩の代価で、彼等の忠義が益褒めそやされていると云う、新しい事実を発見した。そうして、それと共に、彼の胸底を吹いていた春風は、再び幾分の温もりを減却した。勿論彼が背盟の徒のために惜・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・何さま、悪く放免の手にでもかかろうものなら、どんな目に遭うかも知れませぬ。「そこで、逃げ場をさがす気で、急いで戸口の方へ引返そうと致しますと、誰だか、皮匣の後から、しわがれた声で呼びとめました。何しろ、人はいないとばかり思っていた所でご・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・検非違使に問われたる放免の物語 わたしが搦め取った男でございますか? これは確かに多襄丸と云う、名高い盗人でございます。もっともわたしが搦め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口の石橋の上に、うんうん呻って居り・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・こうして若い時から世の辛酸を嘗めつくしたためか、母の気性には濶達な方面とともに、人を呑んでかかるような鋭い所がある。人の妻となってからは、当時の女庭訓的な思想のために、在来の家庭的な、いわゆるハウスワイフというような型に入ろうと努め、また入・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ かくのごとき時代閉塞の現状において、我々のうち最も急進的な人たちが、いかなる方面にその「自己」を主張しているかはすでに読者の知るごとくである。じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫に堪えかねて、彼らの入れられている箱・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
色といえば、恋とか、色情とかいう方面に就いての題目ではあろうが、僕は大に埒外に走って一番これを色彩という側に取ろう、そのかわり、一寸仇ッぽい。 色は兎角白が土台になる。これに色々の色彩が施されるのだ。女の顔の色も白くな・・・ 泉鏡花 「白い下地」
・・・いかんとなれば背後はすでにいったんわが眼に検察して、異状なしと認めてこれを放免したるものなればなり。 兇徒あり、白刃を揮いて背後より渠を刺さんか、巡査はその呼吸の根の留まらんまでは、背後に人あるということに、思いいたることはなかるべし。・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ち激つ水の音、ひたすら事なかれと祈る人の心を、有る限りの音声をもって脅すかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。 少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・田島はこれがためにこの家に大分借金が出来たし、また他の方面でも負財のために頸がまわらなくなっている。僕が吉弥をなじると、「お金こそ使わしてはやるが」と、かの女は答えた。「田島さんとほかの関係はない。考えて見ても分るだろうじゃアないか、奥・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・丁度兄の伊藤八兵衛が本所の油堀に油会所を建て、水藩の名義で金穀その他の運上を扱い、業務上水府の家職を初め諸藩のお留守居、勘定役等と交渉する必要があったので、伊藤は専ら椿岳の米三郎を交際方面に当らしめた。 伊藤は牙籌一方の人物で、眼に一丁・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫