・・・ わたくしが偶然枯蘆の間に立っている元八幡宮の古祠に行当ったのは、砂町海水浴場の榜示杭を見ると共に、何心なく一本道をその方へと歩いて行ったためであった。この一本道は近年つくられたものらしく、敷きつめられた砂利がまだ踏みならされていない処・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・鉄牛寺の本堂の上あたりでククー、ククー。「一声でほととぎすだと覚る。二声で好い声だと思うた」と再び床柱に倚りながら嬉しそうに云う。この髯男は杜鵑を生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしょか」と女が問をかける・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・河を隔てて木の間隠れに白くひく筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、けさアーサーが円卓の騎士と共に北の方へと飛ばせたる本道である。「うれしきものに罪を思えば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人館に残る今日を忍びて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」「這入って見たかい」「やめて来た」「そのほかに何もないかね」「別段何もない。いったい、寺と云うものは大概の村にはあるね、君」「そうさ、・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 一人ほか居ないこの村がかりの郵便配達が、さぞ可笑しい顔をしてあの一本道をよみよみ持って来た事だろうと思うと、他人に知られずにすむべき内輪の恥がパッと世間に拡がった様な気がして、居ても立っても居られない様になった。 早速、その返事の・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 画家の本道的な業績を、大局からみてこの新しい関係が高めたか、或は通俗に堕す部分を生ぜしめたかということは簡単に云い得ないけれども、文学についてみれば、或る作家たちが目下器用にこなしているこの両刀使いの方法は、少くとも、作家と読者との関・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・少し出て来た風にその薄のような草のすきとおった白い穂がざわめく間を、エンジンの響を晴れた大空のどこかへ微かに谺させつつ自動車は一層速力を出して単調な一本道を行く。 ショウモンの大砲台の内部は見物出来るようになっていた。一行が降り立ったら・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・ 善光寺では本堂の横手に「十銭から御普請のお手伝いを願います」と立札を立てている。お札所のようなところで御屋根銅板一枚一円と勧進している。銅板に墨で住所氏名を書いた見本が並べられている。モーニングを着て老妻をつれた年寄の男が、紋付羽織の・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・ 九品仏は今は殆ど廃寺に等しい。本堂の裏に三棟独立した堂宇があり、内に三対ずつの仏像を蔵している。徳川時代のものだろうか。もう暗いので、朧に仏像の金色が見えただけ、木像、光背も木。余り立派な顔の仏でないようだ。境内宏く、古びた大銀杏の下・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・ 一言自分のために―― こんな事も思って娘のあの早口さを思い出したりしながらも昼間その家の前の一本道なんかで会うときっと道もない畑の中をわたって反対の方に行ってしまった。 おどおどしながら仙二はまだ若い娘が落ついた取りすました・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
出典:青空文庫