・・・ 本堂の前から門の外まで、広い石畳が続いている。その石の上には、今手に手に松明を持った、三郎が手のものが押し合っている。また石畳の両側には、境内に住んでいる限りの僧俗が、ほとんど一人も残らず簇っている。これは討手の群れが門外で騒いだとき・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・辻堂を大きくしたようなこの寺の本堂の壁に、新聞反古を張って、この坊さんが近頃住まっているのである。 主人は嬉しそうな顔をして、下女を呼んで言い附けた。「饂飩がまだあるなら、一杯熱くして寧国寺さんに上げないか。お寒いだろうから。」・・・ 森鴎外 「独身」
・・・土手下から水際まで、狭い一本道の附いている処へ、かわるがわる舟を寄せて、先ず履物を陸へ揚げた。どの舟もどの舟も、載せられるだけ大勢の人を載せて来たので、お酌の小さい雪蹈なぞは見附かっても、客の多数の穿いて来た、世間並の駒下駄は、鑑定が容易に・・・ 森鴎外 「百物語」
一 村では秋の収穫時が済んだ。夏から延ばされていた消防慰労会が、寺の本堂で催された。漸く一座に酒が廻った。 その時、突然一枚の唐紙が激しい音を立てて、内側へ倒れて来た。それと同時に、秋三と勘次の塊りは組み合ったまま本堂の中へ・・・ 横光利一 「南北」
・・・嵯峨の臨川寺の本堂前も、二十七、八年前からそういう苔庭になっている。こういう杉苔は、四季を通じて鮮やかな緑の色調を持ち続け、いつも柔らかそうにふくふくとしている。ことにその表面が、芝生のように刈りそろえて平面になっているのではなく、自然に生・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
自分にとっては、強く内から湧いて来る自己否定の要求は、自己肯定の傾向が隈なく自分を支配していた後に現われて来た。そうしてそれは自分を自己肯定の本道に導いてくれそうに思われる。 自我の尊重、個人の解放、――これらの思想はただ思想とし・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫