・・・私はそれを父の冷淡だと思うくらい気の廻る子供だったが、しかしそのころは大阪では良家のぼんちでない限り、たいていは丁稚奉公に遣らされるならわしだったのだから、世話はない。 いったいに私は物事をおおげさに考えるたちで、私が今まで長々と子供の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
甲府は盆地である。四辺、皆、山である。小学生のころ、地理ではじめて、盆地という言葉に接して、訓導からさまざまに説明していただいたが、どうしても、その実景を、想像してみることができなかった。甲府へ来て見て、はじめて、なるほど・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・常の私だったら、こんな乱暴な決意は、逆立ちしたってなしえなかったところのものなのであったが、盆地特有の酷暑で、少しへんになっていた矢先であったし、また、毎日、何もせず、ただぽかんと家主からの速達を待っていて、死ぬほど退屈な日々を送って、むし・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・ 甲府へ来たのは、四月の、まだ薄ら寒い頃で、桜も東京よりかなりおくれ、やっとちらほら咲きはじめたばかりであったが、それから、五月、六月、そろそろ盆地特有のあの炎熱がやって来て、石榴の濃緑の葉が油光りして、そうしてその真紅の花が烈日を受け・・・ 太宰治 「薄明」
ことしの正月から山梨県、甲府市のまちはずれに小さい家を借り、少しずつ貧しい仕事をすすめてもう、はや半年すぎてしまった。六月にはいると、盆地特有の猛烈の暑熱が、じりじりやって来て、北国育ちの私は、その仮借なき、地の底から湧き・・・ 太宰治 「美少女」
・・・ところが先年筑波山の北側の柿岡の盆地へ行った時にかの地には珍しくない「地鳴り」の現象を数回体験した。その時に自分は全く神来的に「孕のジャンはこれだ」と感じた。この地鳴りの音は考え方によってはやはりジャーンとも形容されうる種類の雑音であるし、・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・これは伊那盆地から松本平へ吹き抜ける風の流線がこの谷に集約され、従って異常な高速度を生じたためと思われた。こんな谷の斜面の突端にでも建てたのでは規準様式の建築でも全く無難であるかどうか疑わしいと思われた。 地震による山崩れは勿論、颱風の・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・火山そのものの姿が美しいのみならず、それが常に山と山との間の盆地を求めて噴出するために四周の景観に複雑多様な特色を付与する効果をもっているのである。のみならずまた火山の噴出は植物界を脅かす土壌の老朽に対して回春の効果をもたらすものとも考えら・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 同じ雑誌にエリク・ノーリンがタリム盆地の第四紀における気候変化を調べた論文がある。これによると、最後の氷河期の氷河が崑崙の北麓に押し出して来て今のコータンの近くに堆石の帯を作っている。この氷河が消失して、従って新疆地方に灌漑する川々の・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、 さそりの赤眼が 見えたころ、 四時から今朝も やって来た。 遠野の盆地は まっくらで、 つめたい水の 声ばかり。 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、 ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
出典:青空文庫