・・・ 眼前にまざまざと今日の事が浮んで来る、見下した旦那の顔が判然出て来る、そしてテレ隠しに炭を手玉に取った時のことを思うと顔から火が出るように感じた。「真実にどうしたんだろう」とお源は思わず叫んだ。そして徐々逆上気味になって来た。「も・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ 彼は、その時の情景をいつまでもまざまざと覚えていた。 どこからともなく、誰れかに射撃されたのだ。 二人が立っていたのは山際だった。 交代の歩哨は衛兵所から列を組んで出ているところだった。もう十五分すれば、二人は衛兵所へ帰っ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・橇の上からピストルを放したメリケン兵のロシア語は、まだ栗本の耳にまざまざと残っていた。「眼のこ玉から火が出る程やっつけてやるといいんだ!」 けれども青い別室の将校は、「おれは中尉だ。兵卒とは違うんだ! 将校だ! それがどうして露助に・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・すれば、この作品の描写に於ける、(殊冷酷きわまる、それゆえにまざまざ的確の、作者の厭な眼の説明が残りなく出来ると私は思います。 もとよりこれは嘘であります。ヘルベルト・オイレンベルグさんは、そんな愚かしい家庭のトラブルなど惹き起したお方・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・あざけりの笑いを口角にまざまざと浮べて、なんぼでも、ポチを見つめてやる。これは大へんききめがあった。ポチは、おのれの醜い姿にハッと思い当る様子で、首を垂れ、しおしおどこかへ姿を隠す。「とっても、我慢ができないの。私まで、むず痒くなって」・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・夢だなぞとおろかなこと、もうこれ、こんなにまざまざ眼先に浮んで参ったではございませんか。あの婆様の御めめと、それから。 さようでございます。私の婆様ほどお美しい婆様もそんなにあるものではございませぬ。昨年の夏お歿くなりになられましたけれ・・・ 太宰治 「葉」
・・・青年は、あれこれ言っているうちに、この一週間、自分の嘗めて来た苦悩をまざまざと思い起し、流石に少し不気嫌になって、「あなたは、これからどうします? 僕の下宿に行きますか? それとも、――」 ふたりは、もう帝劇のまえまで来ていた。「入・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・とうとうつかまって顔といわず着物といわずべとべとの腐泥を塗られてげらげら笑っている三十男の意気地なさをまざまざと眼底に刻みつけられたのは、誠に得難い教訓であった。維新前の話であるが、通りがかりの武士が早乙女に泥を塗られたのを怒ってその場で相・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・の場面がまざまざと映写されたのであった。 静物が一枚あった。テーブルの上に酒びん、葡萄酒のはいったコップ、半分皮をむいたみかん、そんなものが並んでいた。そしてそれはその後に目で見た現実のあらゆるびんやコップや果物よりも美しいものであった・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・をまざまざと描き上げさせる原動力になったものらしい。その想像の画面に現われた四方太の住み家の玄関の前には一面に白い霜柱が立っている。きれいに片付いた六畳ぐらいの居間の小さな火鉢の前に寒そうな顔色をして端然と正座しているのである。 文章会・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
出典:青空文庫