・・・そこへ上ると、何十町か向うの岡の上に、金の窓のついたお家が見えました。男の子は、まいにち、そのきれいな窓を見にいきました。窓はいつも、しばらくの間きらきらと、まぶしいほど光っています。そのうちに家の人が戸をしめると見えて、きゅうに、ひょいと・・・ 鈴木三重吉 「岡の家」
・・・なんだかそれまでは心の内を隠していたのが、もう向うも身の上が極まったのだから、構わないとでも思ったらしく見えたのね。それからどうだっけ。わたしは焼餅なんぞは焼かなかったわ。それがまた不思議ね。それから生れた女の子の名付親に、お前さんをしたの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・まくらの上でちょっと頭さえ動かせば、目に見える景色が赤、黄、緑、青、鳩羽というように変わりました。冬になって木々のこずえが、銀色の葉でも連ねたように霜で包まれますと、おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・構えのうちにある小屋でも稲叢でも、皆川を過ぎて行く船頭の処から見えました。此、金持らしい有様の中で、仕事がすむとそおっと川の汀に出かけ、其処に座る、一人の小さい娘のいるのに、気が附いた者があったでしょうか? 私は知りません。けれども、此処で・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・ 月が出ていたけれど、その弟の顔も、女工さんの顔も、はっきりとは見えなかった。姉の顔は、まるく、ほの白く、笑っているようである。弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃っ・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・それに好い女と云う意味から云えば、どの女だってドリスより好く見えようがない。人を悩殺する媚がある。凡て盛りの短い生物には、生活に対する飢渇があるものだが、それをドリスは強く感じている。それが優しい、褐色の、余り大きいとさえ云いたいような、余・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・楊樹の彼方に白い壁の支那民家が五、六軒続いて、庭の中に槐の樹が高く見える。井戸がある。納屋がある。足の小さい年老いた女がおぼつかなく歩いていく。楊樹を透かして向こうに、広い荒漠たる野が見える。褐色した丘陵の連続が指さされる。その向こうには紫・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ この仕事を仕遂げるために必要であった彼の徹底的な自信はあらゆる困難を凌駕させたように見える。これも一つのえらさである。あらゆる直接経験から来る常識の幻影に惑わされずに純理の道筋を踏んだのは、数学という器械の御蔭であるとしても、全く抽象・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・もちろん憂鬱ではなかったけれど、若い女のもっている自由な感情は、いくらか虐げられているらしく見えた。姙娠という生理的の原因もあったかもしれなかった。 桂三郎は静かな落ち着いた青年であった。その気質にはかなり意地の強いところもあるらしく見・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ はたで眺めるぶんには、仕事も気楽に見えるが、実際自分でやるとなると、たかがこんにゃく売りくらいでも、なかなか骨が折れるものだ。 ――こんにゃはァ、こんにゃはァ、 ただこのふれごえ一つだけでも、往来の真ン中で、みんなが見ているところ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
出典:青空文庫