・・・後に書くが日蓮はまれに見る名文家なのである。 この法難から文永五年蒙古来寇のころまで、三、四年間は日蓮の身辺は比較的静安であった。この間に彼の法化が関東の所々にのびたのであった。 七 蒙古来寇の予言 日蓮はさきに・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 第一には何故正しく、名分あるものが落魄して、不義にして、名正しからざるものが栄えて権をとるかということであった。 日蓮の立ち上った動機を考えるものが忘れてならないのは承久の変である。この日本の国体の順逆を犯した不祥の事変は日蓮の生・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・「山に登らせたまひしより、明けても暮れても床しさは心を砕きつれども、貴き道人となしたてまつる嬉しやと思ひしに、内裏の交りをし、紫甲青甲に衣の色をかへ、御布施の物とりたまひ候ほどの、名聞利養の聖人となりそこね給ふ口惜さよ。夢の夜に同じ迷ひ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・一字一句、最大の効果を収めようと、うんうん唸って、絞り出したような名文だ。こんなにお金のかかる文章は、世の中に、少いであろう。なんだか、気味がよい。痛快だ。 ごはんをすまして、戸じまりして、登校。大丈夫、雨が降らないとは思うけれど、それ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・地位や名聞を得なくたって、お金持ちにならなくたって、男そのものが、立派に尊いのだから、ありのままの御身に、その身ひとつに、ちゃんと自信を持っていてくれれば、女は、どんなにうれしいか。お互い、ちょっとの思いちがいで、男も女も、ずいぶん狂ってし・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・世阿弥の能楽に関する著書など、いわゆる文章としてはずいぶん奇妙なものであるが、しかしまた実に天下一品の名文だと思うのである。 それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさな・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・もしもそうでなかったらいかに彼の名文をもってしても、書肆の十露盤に大きな狂いを生じたであろうと思われる。 要するに西鶴が冷静不羈な自分自身の眼で事物の真相を洞察し、実証のない存在を蹴飛ばして眼前現存の事実の上に立って世界の縮図を書き・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・研屋の店先とその親爺との描写はこの作者にして初めて為し得べき名文である。わたくしは『今戸心中』がその時節を年の暮に取り、『たけくらべ』が残暑の秋を時節にして、各その創作に特別の風趣を添えているのと同じく、『註文帳』の作者が篇中その事件を述ぶ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・元禄時代にあって俳諧をつくる者は皆名文家である。芭蕉とその門人去来東花坊の如き皆然りで、独西鶴のみではない。試に西鶴の『五人女』と近松の世話浄瑠璃とを比較せよ。西鶴は市井の風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させ・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・文法家に名文家なく、歌の規則などを研究する人に歌人が乏しいとはよく人のいうところですが、もしそうするとせっかく拵えた文法に妙に融通の利かない杓子定規のところができたり、また苦心して纏めた歌の法則も時には好い歌を殺す道具になるように、実地の生・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫