・・・数日前から夜ごとに来て寝る穴が、幸にまだ誰にも手を附けられずにいると云うことが、ただ一目見て分かった。古い車台を天井にして、大きい導管二つを左右の壁にした穴である。 雪を振り落してから、一本腕はぼろぼろになった上着と、だぶだぶして体に合・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・然るに内行を潔清に維持して俯仰慚ずる所なからんとするは、気力乏しき人にとりて随分一難事とも称すべきものなるが故に、西洋の男女独り木石にあらずまた独り強者にあらず、俗にいう穴探しの筆法を以てその社会の陰処を摘発するにおいては、千百の醜行醜聞、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・誰れの棺でも土の穴の中へ落し込む時には極めていやな感じがするものである。況して其棺の中に自分の死骸が這入っておると考えると、何ともいえぬ厭な感じがする。寐棺の中に自分が仰向けになっておるとして考えて見玉え、棺はゴリゴリゴリドンと下に落ちる。・・・ 正岡子規 「死後」
・・・顔がむくむく膨れていて、おまけにあんな冠らなくてもいいような穴のあいたつばの下った土方しゃっぽをかぶってその上からまた頬かぶりをしているのだ。 手も足も膨れているからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気がした。何をするんだと云ったら、なん・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・そこのは石が小さかったと見えて空気銃の玉でもとび込んだように小さい穴がポツリとあいてヒビが入ってるだけである。こっちのは滅茶滅茶である。 子供はつかまったそうだ。親がえらい罰金をくうのだろう。 どっか松林の下に列車が止ってしまった。・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・それから庭に大きい穴を掘って死骸を埋めた。あとに残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・拘留場で横着を出すと、真っ暗い穴に入れられる。そんな時はツァウォツキイも「ああ、おれはなんと云う不しあわせものだろう」とこぼしている。 ある時ツァウォツキイの家で、また銭が一文もなくなった。ツァウォツキイはそれを恥ずかしく思った。そして・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・しかし、これらの憐れにも死に逝く肺臓の穴を防ぎとめ、再び生き生きと活動させて巷の中へ送り出すここの花園の院長は、もとは、彼の助けているその無数の腐りかかった肺臓のように、死を宣告された腐った肺臓を持っていた。一の傷ついた肺臓が、自身の回復し・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・私は黒い鉄の扉に突き当たったが、自分の力で動かし難い事を悟るとともに、鍵穴を探し出す余裕を取り返したのである。三 トルストイやストリンドベルヒの作物を読んでみる。語の端々までも峻厳な芸術的良心が行きわたっている。はち切れるよ・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫