・・・「それを言いだすと、あの人はすぐ泣きだしてしもて、私の機嫌とるのんですわ。私がヒステリー起こした時は、ご飯かて、たいてくれます。洗濯かて、せえ言うたら、してくれます。ほんまによう機嫌とります。けど、あんまり機嫌とられると、いやですねん。・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・死者を納れる石棺のおもてへ、淫らな戯れをしている人の姿や、牝羊と交合している牧羊神を彫りつけたりした希臘人の風習を。――そして思った。「彼らは知らない。病院の窓の人びとは、崖下の窓を。崖下の窓の人びとは、病院の窓を。そして崖の上にこんな・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 二郎はすでに家にあらざりき、叔母はわれを引き止めてまたもや数々の言葉もて貴嬢を恨み、この恨み永久にやまじと言い放ちて泣きぬ、されどいずこにかなお貴嬢を愛ずる心ありて恨めど怒り得ぬさまの苦しげなる、見るに忍びざりき。叔母恨むというとも貴・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・長おもてのやせこけた顔で、頭は五分刈りがそのまま伸びるだけ伸びて、ももくちゃになって少しのつやもなく、灰色がかっている。 文公のおかげで陰気がちになるのもしかたがない、しかしたれもそれを不平に思う者はないらしい。文公は続けざまに三四杯ひ・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・それはおもての舟梁とその次の舟梁とにあいている孔に、「たてじ」を立て、二のたてじに棟を渡し、肘木を左右にはね出させて、肘木と肘木とを木竿で連ねて苫を受けさせます。苫一枚というのは凡そ畳一枚より少し大きいもの、贅沢にしますと尺長の苫は畳一枚の・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・同じく祭りのための設けとは知られながら、いと長き竿を鉾立に立てて、それを心にして四辺に棒を取り回し枠の如くにしたるを、白布もて総て包めるものありて、何とも悟り得ず。打見たるところ譬えば糸を絡う用にすなるいとわくというもののいと大なるを、竿に・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・すべて自信がもてない。ものをハッキリ決めれない、なぜか、そうきめるとそれが変になってしまうように思われた。 ……龍介は今暗がりへ身を寄せたとき、犬より劣っている自分を意識した。 三 龍介は歩きながら、やはり友だち・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
賭弓に、わななく/\久しうありて、はづしたる矢の、もて離れてことかたへ行きたる。 こんな話を聞いた。 たばこ屋の娘で、小さく、愛くるしいのがいた。男は、この娘のために、飲酒をやめようと決心した。娘は、男の・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・もっとも、もうその頃は、私どもの店も、毎日おもての戸は閉めっきりで、その頃のはやり言葉で言うと閉店開業というやつで、ほんの少数の馴染客だけ、勝手口からこっそりはいり、そうしてお店の土間の椅子席でお酒を飲むという事は無く、奥の六畳間で電気を暗・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・そしていろいろもて扱っているうちに、これがもうかなりに古いありふれた問題である事に気がついた。それかと言ってこれに対する明快な解決はやはり得られなかった。 延び過ぎた芝の根もとが腐れかかっているのを見た時に、私はふと単純な言葉の上の連想・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
出典:青空文庫