・・・境内広く、社務所などもいかめしくは見えたれど、宮居を初めよろずのかかり、まだ古びねばにや神々しきところ無く、松杉の梢を洩りていささか吹く風のみをぞなつかしきものにはおぼえける。ここの御社の御前の狛犬は全く狼の相をなせり。八幡の鳩、春日の鹿な・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・旅宿は三浦屋と云うに定めけるに、衾は堅くして肌に妙ならず、戸は風漏りて夢さめやすし。こし方行末おもい続けてうつらうつらと一夜をあかしぬ。 十三日、明けて糠くさき飯ろくにも喰わず、脚半はきて走り出づ。清水川という村よりまたまた野辺地まで海・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・「春雨や蜂の巣つとう屋ねの漏り」を例にとってみよう。これは表面上は純粋な客観的事象の記述に過ぎない。しかし少なくも俳句を解する日本人にとっては、この句は非常に肉感的である。われわれの心の皮膚はかなり鋭い冷湿の触感を感じ、われわれの心の鼻はか・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・いかがはせんと並松の下に立ちよれども頼む木蔭も雨の漏りけり。ままよと濡れながら行けばさきへ行く一人の大男身にぼろを纏い肩にはケットの捲き円めたるを担ぎしが手拭もて顔をつつみたり。うれしやかかる雨具もあるものをとわれも見まねに頬冠りをなんしけ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・時々上の桟敷で茶をこぼす、それが板の隙間から漏りて下に寝て居る人の頭の辺へポチポチと落ちて来る、下の人が大きな声で、何かこぼれますよ、と怒ったようにいう、上の人が、アアそうですか失敬失敬、などという。こんな問答でもあるとその間だけ気が紛れて・・・ 正岡子規 「病」
・・・弟が左の手をゆるめるとそこからまた息が漏ります。わたくしはなんと言おうにも、声が出ませんので、黙って弟の喉の傷をのぞいて見ますと、なんでも右の手に剃刀を持って、横に笛を切ったが、それでは死に切れなかったので、そのまま剃刀を、えぐるように深く・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫