・・・わたしは下宿へ帰らずにとりあえずMと云う家へ出かけ、十号ぐらいの人物を仕上げるためにモデルを一人雇うことにした。こう云う決心は憂鬱の中にも久しぶりにわたしを元気にした。「この画さえ仕上げれば死んでも善い。」――そんな気も実際したものだった。・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・が、人夫を雇う金もない。已むなく自ら出向いて、御霊神社あたりの繁華な場所に立って一枚一枚通行人に配った。そして、いちはやく馳せ戻り、店に坐って、客の来るのを待ち受けるのだった。しかし、たいして繁昌りもしなかった……。 繁昌らぬのも道・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・――だがまあ二十円位い損をしたって、泥棒を傭うて置くよりゃましだ。今すぐぼい出してしまえ!」「へえ、さようでございます。」と杜氏はまた頭を下げた。 主人は、杜氏が去ったあとで、毎月労働者の賃銀の中から、総額の五分ずつ貯金をさして、自・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・ 夜盗の類か、何者か、と眼稜強く主人が観た男は、額広く鼻高く、上り目の、朶少き耳、鎗おとがいに硬そうな鬚疎らに生い、甚だ多き髪を茶筅とも無く粗末に異様に短く束ねて、町人風の身づくりはしたれど更に似合わしからず、脇差一本指したる体、何とも・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・松が端から車を雇う。下町は昨日の祭礼の名残で賑やかな追手筋を小さい花台をかいた子供連がねって行く。西洋の婦人が向うから来てこれとすれちがった。牧牛会社の前までくると日が入りかかって、川端の榎の霜枯れの色が実に美しい。高阪橋を越す時東を見ると・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・ 四 ペナンとコロンボ四月十三日 ……馬車を雇うて植物園へ行く途中で寺院のような所へはいって見た。祭壇の前には鉄の孔雀がある。参詣者はその背中に突き出た瘤のようなものの上で椰子の殻を割って、その白い粉を額へ塗・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・そこらの車夫でもモデルに雇うとなると一日五十銭も取る。少し若い女などになるとどうしても一円は取られる。それでなかなか時間もかかるから研究と一口に云うても容易な事ではない。景色画でもそうだ。先頃上州へ写生に行って二十日ほど雨のふる日も休まずに・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・そのために人夫を百人雇う。職工を千人雇う。そうして彼らの間に規律と云うものが無かったならば、――彼らのうちには今日は頭が痛いから休むというものもできようし、朝の七時からは厭だからおれは午後から出るとわがままを云うものもできようし、あるいは今・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・而して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今より勉強して幾年を過ぎなば、この雇の外国人をやめてこれに交代すべきや・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ただ企望する所は、仮令いその子を学校に入るるにもせよ、あるいは自宅にて教うるにもせよ、家の都合次第、今時の勢いにては才学に欠点なき父母も少なからん、あるいは家に教師を雇うべき財ある者も少なからんことなれば、やはり一時の姑息にて、よき学校を撰・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
出典:青空文庫