・・・ 私は誰も来ないのに、そういつまでも、血の出る足を振り廻している訳にも行かなかった。止むなく足を引っ込めた。そして傷口を水で洗った。溝の中にいる虫のような、白い神経が見えた。骨も見えた。何しろ硝子板を粉々に蹴飛ばしたんだから、砕屑でも入・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・私はともかく、平田はそんな不実な男じゃない、実に止むを得ないのだ。もう承知しておくれだッたのだから、くどく言うこともないのだが……。お前さんの性質だと……もうわかッてるんだから安心だが……。吉里さん、本統に頼むよ」 吉里はまた泣き出した・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・妻も一処に怒りて争うは宜しからず、一時発作の病と視做し一時これを慰めて後に大に戒しむるは止むを得ざる処置なれども、其立腹の理非をも問わず唯恐れて順えとは、婦人は唯是れ男子の奴隷たるに過ぎず、感服す可らざるのみか、末段に女は夫を以て天とす云々・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・あなたがたは、病む人々が生命のためにたたかう事業をたすけて、けなげに努力していらっしゃる。そのような看護婦という職業をもつ一人の女性の人生として、きょうの生活をどう感じて働いておいででしょうか、と。 生きるために病とたたかう人たちをたす・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・の中でベルクナアが妻を演じて、苦しいその心のありさまを病む良人のベッドのよこでの何ともいえないとんぼがえりで表現した、あの表現と同様、どうも女優そのものの体からひとりでに出たものとは思われない。寧ろ監督の腕と思う。勿論、そのなかにも女優が自・・・ 宮本百合子 「映画女優の知性」
・・・が、病むイエニーの部屋へ初めて行った朝の美しい光景を、エレナーは感動をもって記録している。「二人は一緒に若返りました――彼女は恋する乙女に、彼は恋する若者に、一緒に人生に歩み入るところの――そして互いに生涯の別れを告げているところの――・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ 尚それよりも幸福なのは偉大な力をもって人に迫る「死」そのものを知らないことである。 病む人が己に死の影が刻々と迫りつつあると知った時はどんな気持だろう。実に「生」を求める激しい欲望に満ち満ちて居る。 過去の追憶は矢の様に心をか・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ たまらなく可愛いので、やたらに抱くので、もう私と看護婦の手を覚えて、どんなに泣いて居ても、二人の内が抱くと、きっと泣き止む。 成丈、脊髄を曲げない様に、左右の手を同じ様に発育させる様に注意して、ゆったりと胸に抱えあげて、形の好い鼻・・・ 宮本百合子 「暁光」
・・・ 他人の中で病むほどつらい事はございませんものねえ。 此処へ来て一日ほど立って、指をはらして二月も順天堂に通った事のあるその女中は、ほんとうに思いやりがあるらしく涙声で云った。 その日一日八度から九度の間を行き来して居た宮部・・・ 宮本百合子 「黒馬車」
・・・そこにこの小説のテーマがより深められ、じみちな生活のたたかいによって病む夫への愛の誠実さをこめて女主人公の人生に対する生きかたの選択が語られるはずであった。その点を作者ははっきりつかんでいない。抒情的にまとめられたのは却って弱くしている。・・・ 宮本百合子 「『健康会議』創作選評」
出典:青空文庫