・・・そのなかには肌脱ぎになった人がいたり、柱時計が鳴っていたり、味気ない生活が蚊遣りを燻したりしていた。そのうえ、軒燈にはきまったようにやもりがとまっていて彼を気味悪がらせた。彼は何度も袋路に突きあたりながら、――そのたびになおさら自分の足音に・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・で、糸目の着加減を両かしぎというのにして、右へでも左へでも何方へでも遣りたいと思う方へ紙鳶が傾くように仕た上、近傍に紙鳶が揚って居ると其奴に引からめて敵の紙鳶を分捕って仕舞うので、左様甘く往くことばかりは無かったが、実に愉快で堪えられないほ・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・あれを刈りに行くものは、腰に火縄を提げ、それを蚊遣りの代わりとし、襲い来る無数の藪蚊と戦いながら、高い崖の上に生えているのを下から刈り取って来るという。あれは熊笹というやつか。見たばかりでも恐ろしげに、幅広で鋭くとがったあの笹の葉は忘れ難い・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「え、すこし御遣りなさらないか」「今私が読んでる小説の中などには、時々仏蘭西語が出て来て困ります」「ほんとに、御一緒に一つ遣ろうじゃありませんか」 仏蘭西語の話をする時ほど、学士の眼は華やかに輝くことはなかった。 やがて・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・勘忍してお遣りとそう云ったわ。あの事をまだ覚えていて。あの時お前さんがわたしの言った通りにすると、今はちゃんと家持になっているのね。去年のクリスマスにはあの約束をおしの人の二親のいる、田舎の内にお前さんは行っていて、そういったっけね。もうも・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・併し此場を立ち上がって、あの倒れている女学生の所へ行って見るとか、それを介抱して遣るとか云う事は、どうしても遣りたくない。女房はこの出来事に体を縛り付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡な心持をして時の立つのを待っていた。そし・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・事柄は小さなようでも電車切符の穴調べも遣り方によっては市民の頭の中に或るものをつぎ込み、その中から或るものを取り去るような効果がないとは限らない。 例えばわれわれが毎日電車に乗る度に、私が日比谷で見たような場面を見せられるとしたらどうだ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そういう遣り方が写真として不都合であっても絵画としてはそれほど不都合な事ではないという事が初めから明らかに理解されている証拠である。また下書きなどをしてその上を綺麗に塗りつぶす月並なやり方の通弊を脱し得る所以であるまいか。本当の意味の書家が・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・新設されべき文芸院が果してこの不振の救済を急務として適当の仕事を遣り出すならば、よし永久の必要はなしとした所で、刻下の困難を救う一時の方便上、文壇に縁の深い我々は折れ合って無理にも賛成の意を表したいが、どうしてそれを仕終せるかの実行問題にな・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・あなた方も大学を御遣りになって、そうして益インデペンデントに御遣りになって、新しい方の、本当の新しい人にならなければ不可ない。蒸返しの新しいものではない。そういうものではいけない。 要するにどっちの方が大切であろうかというと、両方が大切・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫