・・・取調べの末、起訴猶予になった。昭和五年の歳末の事である。兄たちは、死にぞこないの弟に優しくしてくれた。 長兄はHを、芸妓の職から解放し、その翌るとしの二月に、私の手許に送って寄こした。言約を潔癖に守る兄である。Hはのんきな顔をしてやって・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・一刻の猶予もならんのです。すぐまいりましょう。」 と言って、立ち上る。 私は一緒に行くべきかどうか迷った。いま彼をひとりで、外へ出すのも気がかりであった。この勢いだと、彼は本当にその一ばん上の兄さんの居所に押しかけて行って大騒ぎを起・・・ 太宰治 「女神」
・・・「五十有余。この比よりは、大方せぬならでは、手だてあるまじ。麒麟も老いては土馬に劣ると申す事あり。云々。」 次は藤村の言葉である。「芭蕉は五十一で死んだ。これには私は驚かされた。老人だ、老人だ、と少年時代から思い込んで居た芭蕉に対する自・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・しかしどんな条件があるのだろうと、誰も猶予する。「僕がしましょう。」興奮の余りに、上わ調子になった声で、チルナウエルが叫んだ。「その日数だけ休暇が貰えるかね。半年は掛かるよ。」中尉はこう云って、小さい銀行員を、頭から足まで見卸した。・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・しもわからなくてもさもおかしそうに笑っている人を見れば自分も笑いたくなると同様に、上手な俳優が身も世もあられぬといったような悲しみの涙をしぼって見せれば、元来泣くように準備のととのっている観客の涙腺は猶予なく過剰分泌を開始するのであって、言・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 日本人の先祖がどこに生まれどこから渡って来たかは別問題として、有史以来二千有余年この土地に土着してしまった日本人がたとえいかなる遺伝的記憶をもっているとしても、その上層を大部分掩蔽するだけの経験の収穫をこの日本の環境から受け取り、それ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・初五が短いためにそのあとでちょっとした休止の気味があって内省と玩味の余裕を与え、次に来るものへの予想を発酵させるだけの猶予を可能にする。中七は初五で提出された問題の発展であり解答であるので長さを要求する。最後の五は結尾であって、しかもそのあ・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・将又券番、暖簾等ノ芸妓ニ於テハ先ヅ小梅、才蔵、松吉、梅吉、房吉、増吉、鈴八、小勝、小蝶、小徳們、凡四十有余名アリ。其他ハ当所ノ糟粕ヲ嘗ムル者、酒店魚商ヲ首トシテ浴楼箆頭肆ニ造ルマデ幾ド一千余戸ニ及ベリ。総テ這地ノ隆盛ナル反ツテ旧趾ノ南浜新駅・・・ 永井荷風 「上野」
・・・の名吟を世に残してより、明治に至るまで凡二百有余年、墨水の風月を愛してここに居を卜した文雅の士は勝げるに堪えない。しかしてそが最終の殿をなした者を誰かと問えば、それは実に幸田先生であろう。先生は震災の後まで向嶋の旧居を守っておられた。今日そ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 我が慶応義塾の教育法は、学生諸氏もすでに知る如く、創立のその時より実学を勉め、西洋文明の学問を主として、その真理原則を重んずることはなはだしく、この点においては一毫の猶予を仮さず、無理無則、これ我が敵なりとて、あたかも天下の公衆を相手・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
出典:青空文庫