・・・何がさて空想で眩んでいた此方の眼にその泪が這入るものか、おれの心一ツで親女房に憂目を見するという事に其時はツイ気が付かなんだが、今となって漸う漸う眼が覚めた。 ええ、今更お復習しても始まらぬか。昔を今に成す由もないからな。 しかし彼・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜を越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通り過く時雨の音のいかにも幽かで、また鷹揚な趣きがあって、優しく懐しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ ○ 顔も大きいが身体も大きくゆったりとしている上に、職人上りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚上髭頬髯を無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚にまださほどは居ぬ蚊を吾家から提げた・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・先生は、何事も意に介さぬという鷹揚な態度で、その大将にお酌をなされた。「は、いや、」大将は、左手で盃を口に運びながら、右手の小指で頭を掻いた。「委せられております。」「うむ。」先生は深くうなずいた。 それから先生と大将との間に頗・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・とれいの鷹揚ぶった態度で首肯いたが、さすがに、感佩したものがあった様子であった。「下の姉さんは、貸さなかったが、わかるかい? 下の姉さんも、偉いね。上の姉さんより、もっと偉いかも知れない。わかるかい?」「わかるさ。」傲然と言うのであ・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ 知っているのだけれども、知らんと言ったほうが人物が大きく鷹揚に見える。彼は、きょうの出来事はすべて忘れたような顔をして、のろのろと執務をはじめる。「とにかく、あの放送は、たのしみだなあ」 下僚は、なおも小声でお世辞を言う。しか・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・あの家の屋賃は、もともと、そっくり僕のお小使いになる筈なのであるが、おかげで、この一年間というもの、僕は様様のつきあいに肩身のせまい思いをした。 いまの男に貸したのは、昨年の三月である。裏庭の霧島躑躅がようやく若芽を出しかけていた頃であ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 私の祖母が死んだのは、こうして様様に指折りかぞえながら計算してみると、私の生後八カ月目のころのことである。このときの思い出だけは、霞が三角形の裂け目を作って、そこから白昼の透明な空がだいじな肌を覗かせているようにそんな案配には・・・ 太宰治 「玩具」
・・・私がそのカフェの隅の倚子に坐ると、そこの女給四人すべてが、様様の着物を着て私のテエブルのまえに立ち並んだ。冬であった。私は、熱い酒を、と言った。そうしてさもさも寒そうに首筋をすくめた。活動役者との相似が、直接私に利益をもたらした。年若いひと・・・ 太宰治 「逆行」
・・・色様様の推察が捲き起ったのだけれども、そのことごとくが、はずれていた。誰も知らない。みやこ新聞社の就職試験に落第したから、死んだのである。 落第と、はっきり、きまった。かれら夫婦ひと月ぶんの生活費、その前夜に田舎の長兄が送ってよこした九・・・ 太宰治 「狂言の神」
出典:青空文庫