・・・酒を買って酔を催すのも徒事である。酔うて人を罵るに至っては悪事である。烟草を喫するのもまた徒事。書を購って読まざるもまた徒事である。読んで後記憶せざればこれもまた徒事にひとしい。しかしながら為政者のなす所を見るに、酒と烟草とには税を課してこ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 町中の堀割に沿うて夏の夕を歩む時、自分は黙阿弥翁の書いた『島鵆月白浪』に雁金に結びし蚊帳もきのふけふ――と清元の出語がある妾宅の場を見るような三味線的情調に酔う事がしばしばある。 観潮楼の先生もかつて『染めちがえ』と題する短篇小説・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・殊に瞽女を知ってからというもの彼は彼の感ずる程度に於て歓楽に酔うて居た。二十年の歓楽から急転し彼は備さに其哀愁を味わねばならなくなった。一大惨劇は相尋いで起った。六 夜毎に月の出は遅くなった。太十は精神の疲労から其夜うとうと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・力が外界の刺戟に反応する方法は刺戟の複雑である以上固より多趣多様千差万別に違ないが、要するに刺戟の来るたびに吾が活力をなるべく制限節約してできるだけ使うまいとする工夫と、また自ら進んで適意の刺戟を求め能うだけの活力を這裏に消耗して快を取る手・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・「余は人間に能う限りの公平と無私とを念じて、栄誉ある君の国の歴史を今になお述作しつつある。従って余の著書は一部人士の不満を招くかも知れない。けれどもそれはやむを得ない。ジョン・モーレーのいった通り何人にもあれ誠実を妨ぐるものは、人類進歩・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・』『ああ、能う御座えますよ。』 二人はもう何も云う事がなくなった様に、互に顔を見てお居ででしたが、女の人は急に思出した様に、抱いて居た赤さんの顔を夫へお見せでして、『此子はお前さんの顔を覚えられねえけんど、お前さんは此子の顔を能く覚・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・、両性の交際を厳にして徹頭徹尾潔清の節を守り、俯仰天地に愧ずることなからんとするには、人生甚だ長くしてその間に千種万様の事情あるにもかかわらず、自ら血気を抑えて時としては人の顔色をも犯し、世を挙って皆酔うの最中、独り自ら醒め、独行勇進して左・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・私のおやじは紫紺の根を掘って来てお酒ととりかえましたが私は紫紺のはなしを一寸すればこんなに酔うくらいまでお酒が呑めるのです。 そらこんなに酔うくらいです。」 山男は赤くなった顔を一つ右手でしごいて席へ座りました。 みんなはざわざ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・私は貴方さまにそんなにしていただくほど身分の高いものではございませんですから……第一の精霊 云うでござる、身分の高いものではございませんですから―― 良う御ききなされ美くしいシリンクス殿。 年老いた私共は、その若人のするほどにも・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・太ったもう一人の弟は被った羽織の下で四足で這いながら自分が本当の虎になったような威力に快く酔う。 そんなことをして遊ぶ部屋の端が、一畳板敷になっていた。三尺の窓が低く明いている。壁によせて長火鉢が置いてあるが、小さい子が三人並ぶゆと・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
出典:青空文庫