・・・ これに対して与えられた事実与件はAという名前の一致。ただし近所のA家に西洋猫がいるかどうかは不明。新聞の写真のB猫とC猫との肖似。ただし記憶だけで他に実証なし。BCとDとの幾分の肖似。新聞記事によると、B猫が不良で夜遊び昼遊びをして困・・・ 寺田寅彦 「ある探偵事件」
・・・可能な道は無限に多様であって、その中の一つを指定すべき与件は一つもないのである。 これと反対に、現世で予測のできない事がらが逆転映画の世界では確定的になるから妙である。たとえば一本の鉛筆を垂直に机上に立てて手を離せば鉛筆は倒れるが、それ・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・の前提とすべき与件の判定は往々にして純正物理学の範囲を超越する。それ故に物理学者の考える地震というものは結局物理学の眼鏡を透して見得るだけのものに過ぎない。 同じく科学者と称する人々の中でも各自の専門に応じて地震というものの対象がかくの・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・たったそれだけの実証的与件では何事も実証的に推論できるはずはない。小説はできても実話はできないのである。 こんなことを考えながら歩いているうちに、いつのまにか数寄屋橋に出た。明るい銀座の灯が暗い空想を消散させた。 紫色のスウィートピ・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・これを充分に理解するためには、その子供をしてそういう言辞を言わしむるようになった必然な沿革や環境や与件を知悉しなければならない。それを知らなければ畢竟無理解没分暁の親爺たる事を免れ難いかもしれない。ましてや内部生活の疎隔した他人はなおさらの・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・先ず普通は眼前の作品を与えられた具体的の被与件として肯定してから相対的の批評で市が栄えるとしたものであろう。 芸術の技巧に関する伝統が尊重された時代には、芸術の批評権といったようなものは主に芸術家自身か、さもなくば博学な美術考証家の手に・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・この合流の統計的方則が何であるか、これを支配する物理的与件が何と何とであるか、これも直ちに発せられる疑問である。ガラスの面の一部を石鹸でこすっておくと、そこだけはこの水滴の凝結に対してまた全くちがった作用をするのである。 ガラス面に水滴・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖し、予見したりするのが非常に趣味のあることとなったのである。で、面白いということは唯だ趣味の話に止ま・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・それはラテン語の詩句や、歴史の年代、或いは数学の与件を、大声で云って見ずにはいられない子供たちの声なのである」その騒々しいなかでも、一旦或ることに注意をあつめたら最後、マーニャの気を外へ散らすということは、どんないたずら巧者の姉たちの腕にも・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・、男も人間の幸福ということを考えれば、女の幸福がその不可欠の条件であることを常識として身につけて、いわば最も直接な男の幸福問題として女の幸福も増す方向に動くようになって来るだろうということだけは確かに予見できる。 日本のような社会の伝習・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
出典:青空文庫