・・・ この寺の墓所に、京の友禅とか、江戸の俳優某とか、墓があるよし、人伝に聞いたので、それを捜すともなしに、卵塔の中へ入った。 墓は皆暗かった、土地は高いのに、じめじめと、落葉も払わず、苔は萍のようであった。 ふと、生垣を覗いた明い・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・……上の寺の人だと、悪いんだが、まったく、これは荒れているね。卵塔場へ、深入りはしないからよかったけれど、今のを聞いては、足がすくんで動かれないよ。」「ははははは。」 鼻のさきに漂う煙が、その頸窪のあたりに、古寺の破廂を、なめくじの・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 庫裡に音信れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。 かあかあと、鴉が鳴く。……墓所は日陰である。苔に惑い、露に辷って、樹島がやや慌しかったのは、余り身軽に和尚どの・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・る……いやいや、いつの年も、盂蘭盆に墓地へ燈籠を供えて、心ばかり小さな燈を灯すのは、このあたりすべてかわりなく、親類一門、それぞれ知己の新仏へ志のやりとりをするから、十三日、迎火を焚く夜からは、寺々の卵塔は申すまでもない、野に山に、標石、奥・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・「大阪曾根崎署では十九日朝九時、約五十名の制服警官をくり出して梅田自由市場の煙草販売業者の一斉取締りを断行、折柄の雑沓の中で樫棒、煉瓦が入れ交つての大乱闘が行はれ重軽傷者数名を出した。負傷者は直ちに北区大同病院にかつぎ込み加療中。・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・現代俳壇の乱闘場裏に馳駆していられるように見える闘士のかたがたが俳句の精神をいかなるものと考えていられるかは自分の知らんと欲していまだよく知りつくすことのできないところである。従って上記のごときは俳壇の諸家の一粲を博するにも足りないものであ・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・で、何物にも屈伏することを好まない青年の自尊心を感じることの出来る者達程、此の日の二人の乱闘の原因も、所詮酒の上の、「箸で突いた」程度のことから始まったと自然な洞察を下して、また酒盃をとり上げた。 併し此の噂は村の幾宵を騒がせた。そして・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫