・・・そうして枯草の間に竜胆の青い花が夢見顔に咲いているのを見た時に、しみじみあの I have nothing to do with thee という悲しい言が思い出された。 巫女 年をとった巫女が白い衣に緋の袴をはいて・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ 我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々まで発達している。――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥の日一日明白・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・「そうか、その木戸の前に、どこか四ツ谷辺の縁日へでも持出すと見えて、女郎花だの、桔梗、竜胆だの、何、大したものはない、ほんの草物ばかり、それはそれは綺麗に咲いたのを積んだまま置いてあった。 私はこう下を向いて来かかったが、目の前をち・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・取りて持返して透したれば、流動体の平面斜めになりぬ。何ならむ、この薬、予が手に重くこたえたり。 じっとみまもれば心も消々になりぬ。 その口の方早や少しく減じたる。それをば命とや。あまり果敢なさに予は思わず呟きぬ。「たッたこれだけ・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ 婦は、道端の藪を覗き松の根を潜った、竜胆の、茎の細いのを摘んで持った。これは袂にも懐にも入らないから、何に対し、誰に恥ていいか分らない。「マッチをあげますか。」「先ず一服だ。」 安煙草の匂のかわりに、稲の甘い香が耳まで包む・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ 僕は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少し許り探って、『あけび』四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆の花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りだから無造作に二人で降りる。畑へ出口で僕は春蘭の大きいのを見つけた。・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 愉快な問題にも、不愉快な疑問にも、僕は僕そッくりがひッたり当て填る気がして、天上の果てから地の底まで、明暗を通じて僕の神経が流動瀰漫しているようだ。すること、なすことが夢か、まぼろしのように軽くはかどった。そのくせ、得たところと言って・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・れで今度はお前から注文しなさいと言えば、西瓜の奈良漬だとか、酢ぐきだとか、不消化なものばかり好んで、六ヶしうお粥をたべさせて貰いましたが、遂に自分から「これは無理ですね、噛むのが辛度いのですから、もう流動物ばかりにして下さい」と言いますので・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・今や落日、大洋、清風、蒼天、人心を一貫して流動する所のものを感得したり。 かるが故にわれは今なお牧場、森林、山岳を愛す、緑地の上、窮天の間、耳目の触るる所の者を愛す、これらはみなわが最純なる思想の錨、わが心わが霊及びわが徳性の乳母、導者・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・土と、かびの臭いに満ちた空気の流動がかすかに分る。鉱車は、地底に這っている二本のレールを伝って、きし/\軋りながら移動した。 窮屈な坑道の荒い岩の肌から水滴がしたゝり落ちている。市三は、刀で斬られるように頸すじを脅かされつゝ奥へ進んだ。・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
出典:青空文庫