・・・食料は米味噌、そのほかに若布切り干し塩ざかななどはぜいたくなほうで、罐詰などはほとんど持たない。野菜類は現場で得られるものは利用する。カラフトではいろいろな植物を片端から試験的に食ってみた人もある。渓流で小ざかなをつかみ取りにしたり、野獣を・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・羽根が黒くて腰の黄色い小さな蜂が、柔らかい若芽の茎の中に卵を産みつけると、やがて茎の横腹が竪にはじけ破れて幼虫が生れ出る。これが若葉の縁に鈴成りに黒い頭を並べて、驚くべき食慾をもって瞬く間にあらゆる葉を食い尽さないではおかない。去年はこの翡・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
・・・ しかしまた時として向こう河岸にもやっている荷物船から三菱の倉庫へ荷上げをしている人足の機械的に動くのを見たり、船頭の女房が艫で菜の葉を刻んだり洗ったりするのを見たり、あるいは若芽を吹いた柳の風にゆらぐのを見たりしていると、丸善だとか三・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・悪くすると小枝を折り若芽を傷つけるばかりである。今度は小さな鋏を出して来て竿の先に縛りつけた。それは数年前に流行した十幾とおりの使い方のあるという西洋鋏である。自分は今その十幾種のほかのもう一つの使い方をしようというのであった。鋏の発明者も・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・恐る恐る訊く私が知識の若芽を乳母はいろいろな迷信の鋏で切摘んだ。父親は云う事を聴かないと、家を追出して古井戸の柳へ縛りつけるぞと怒鳴って、爛たる児童の天真を損う事をば顧みなかった。ああ、恐しい幼少の記念。十歳を越えて猶、夜中一人で、厠に行く・・・ 永井荷風 「狐」
・・・すんなり枝を延ばし梢高く、樹肌がすべすべで薄紅のに、こちゃこちゃ、こちゃこちゃとかたまって濃緑、臙脂、ぱっとした茶色などの混った若芽が芽ばえ出している。ちょうど若葉の見頃な楓もあったが、樹ぶりが皆、すんなり、どちらかというと細めで素直だ。石・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・ 浅春という感じに満ちて庭を彼方此方、歩き廻りながら日を浴び、若芽を眺めるのは、実に云い難い悦びであった。 春から夏にかけて、地上のあらゆる家屋、樹木、草々は、驚くべき直接な力で、各自の美しい存在、沈黙の裡の発育、個性というものを見・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・萩はしおらしくうなだれてビワのうす緑の若芽のビロードの様な上に一つ、二つ、真珠の飾りをつけた様に露をためて――マア、私は斯う、小さい、ふるえたため息をもらさなくては居られないほど嬉しさにみちて居る。泣きぬれた瞳の様な、斯う思って私は椿の葉を・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ひろ子はそこで、潮の香をかぎ、鯨油ランプの光にてらされる夜、濤の音をきき、豆の花と松の若芽の伸びを見ながら、井戸ばたでよごれた皿などを洗って数日くらした。その数日は、それまでの数年間のくらしの精髄が若松のかおりをこめた丸い露の玉に凝って、ひ・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・それでもまだかたくなっておどろいた様子をして、彼の女の萩のナヨナヨとした若芽で結んで居る髪を見つめた。「私の居ない間に自然が貴方をとっちゃった……」 男はこんな事を云った。彼の女の口元はキュッとしまった。そして、「私はあんたのも・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫