・・・その温泉に涵りながら「牢門」のそとを眺めていると、明るい日光の下で白く白く高まっている瀬のたぎりが眼の高さに見えた。差し出ている楓の枝が見えた。そのアーチ形の風景のなかを弾丸のように川烏が飛び抜けた。 また夕方、溪ぎわへ出ていた人があた・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ど想像出来ぬのでありまするが、そのウィンパーの記したものによりますると、その時夕方六時頃です、ペーテル一族の者は山登りに馴れている人ですが、その一人がふと見るというと、リスカンという方に、ぼうっとしたアーチのようなものが見えましたので、はて・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・前は牛を呑むアーチの暗き上より、石に響く扉を下して、刎橋を鉄鎖に引けば人の踰えぬ濠である。 濠を渡せば門も破ろう、門を破れば天主も抜こう、志ある方に道あり、道ある方に向えとルーファスは打ち壊したる扉の隙より、黒金につつめる狼の顔を会釈も・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・彼らは涙の浪に揺られてこの洞窟のごとく薄暗きアーチの下まで漕ぎつけられる。口を開けて鰯を吸う鯨の待ち構えている所まで来るやいなやキーと軋る音と共に厚樫の扉は彼らと浮世の光りとを長えに隔てる。彼らはかくしてついに宿命の鬼の餌食となる。明日食わ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・そして店々の飾窓には、いつもの流行おくれの商品が、埃っぽく欠伸をして並んでいるし、珈琲店の軒には、田舎らしく造花のアーチが飾られている。何もかも、すべて私が知っている通りの、いつもの退屈な町にすぎない。一瞬間の中に、すっかり印象が変ってしま・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 二人が二本の榧の木のアーチになった下を潜ったら不思議な音はもう切れ切れじゃなくなった。 そこで二人は元気を出して上着の袖で汗をふきふきかけて行った。 そのうち音はもっとはっきりして来たのだ。ひょろひょろした笛の音も入っていたし・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・ アーチになった祭壇のすぐ下には、スナイダーを楽長とするオーケストラバンドが、半円陣を採り、その左には唱歌隊の席がありました。唱歌隊の中にはカナダのグロッコも居たそうですが、どの人かわかりませんでした。 ところが祭壇の下オーケストラ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・軽い朝日を受けてこっち、ハルトゥリナ通りの方から一人、黒い書類入鞄を下げた女が急ぎ足で旧参謀本部、今のレーニングラード・ソヴェト行政部わきのアーチへ向って歩いて行く。そっち、十月二十五日通りから入って来て、斜に広場をネ河の岸へ横切って行く者・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・九尺に足りないその裏通りのあちらの塀から這い出した南瓜の蔓と、こちらの塀から伸びた南瓜の蔓とを、どこの若い人のしたことか、せまい通りの頭の上で結び合わして、アーチにしてあった。大きい葉の間に実にはならないながら黄色の濃い花が点々と咲く南瓜の・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・そして若い女達がよくする様にお互に手をにぎりっこして水溜り等に来かかると、水溜の上に二人の手でアーチを作ってとび越えたりした。小石をけとばしながら篤は肇の顔をのぞき込む様にしてきいた。「どうだったえ?「何が?「何がってさー、・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
出典:青空文庫