・・・ そこを、コンパスとスクリューを失った難破船のように、大隊がふらついていた。 兵士達は、銃殺を恐れて自分の意見を引っこめてしまった。近松少佐は思うままにすべての部下を威嚇した。兵卒は無い力まで搾って遮二無二にロシア人をめがけて突撃し・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・阿蘭陀語ではパッスルと申し、イタリヤ語ではコンパスと申すもののことである、と通事のひとりが教えた。白石は、コンパスというものかどうか知らぬが、地図に用ありげな機械であるから、私がこの屋敷で見つけていま持って来てある、と言いつつ懐中から古びた・・・ 太宰治 「地球図」
・・・足のコンパスは思い切って広く、トットと小きざみに歩くその早さ! 演習に朝出る兵隊さんもこれにはいつも三舎を避けた。 たいてい洋服で、それもスコッチの毛の摩れてなくなった鳶色の古背広、上にはおったインバネスも羊羹色に黄ばんで、右の手には犬・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・磁石とコンパスでこれらの雲のおおよその方角と高度を測って、そして雲の高さを仮定して算出したその位置を地図の上に当たってみると、西は甲武信岳から富士箱根や伊豆の連山の上にかかった雲を一つ一つ指摘する事ができた。箱根の峠を越した後再び丹沢山大山・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・ コンパスは、グルっと廻って、北東を指した。 第三金時丸は、こうして時々、千本桜の軍内のように、「行きつ戻りつ」するのであった。コムパスが傷んでいたんだ。 又、彼女が、ドックに入ることがある。セイラーは、カンカン・ハマーで、彼女・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・小十郎は膝から上にまるで屏風のような白い波をたてながらコンパスのように足を抜き差しして口を少し曲げながらやって来る。そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃ・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ 兄さんの蟹ははっきりとその青いもののさきがコンパスのように黒く尖っているのも見ました。と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが、それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆら・・・ 宮沢賢治 「やまなし」
・・・世界の労働者、農民の解放、ソヴェト政権の確立に向って、力強く槌を、コンパスを、トラクターを動かしているのだ。――輝かしい少数民族の生活―― ところで、このような素晴らしい文化建設はソヴェト同盟内の少数民族の日常生活を・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・に、燦然と輝きながら、千年の地下の眠りから呼び覚まされたアフロジテの像に、静かな表情でコンパスと定規をあてて「……私は切に知りたいのですから……」と云った人の姿が尊く浮み上った。ほんとに、舌を持つほどの者は、「知りたいのです」という・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫