・・・ブリッジを渡る暇もないのでレールを踏越えて、漸とこさと乗込んでから顔を出すと、跡から追駈けて来た二葉亭は柵の外に立って、例の錆のある太い声で、「芭蕉さまのお連れで危ない処だった」といった。その途端に列車は動き出し、窓からサヨナラを交換したが・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・シェレーや、ボードレールや、レヴィートフのような、詩人だけではなかったのである。 さらに、私は、雲に対して、驚異を感ずるのだった。いかにして、あの鏡の如き空に、生ずるかを。その始めは、一片の毛の飛ぶに似たるものが、一瞬の後に、至大な勢力・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・そこで少年は、袋の中から砂を取り出して、せっかく敷いたレールの上に振りかけました。すると、見るまに白く光っていた鋼鉄のレールは真っ赤にさびたように見えたのでありました……。 またある繁華な雑沓をきわめた都会をケーが歩いていましたときに、・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・汽車のように枕木の上にレールが並べてあって、踏切などをつけた、電車だけの道なのであった。 窓からは線路に沿った家々の内部が見えた。破屋というのではないが、とりわけて見ようというような立派な家では勿論なかった。しかし人の家の内部というもの・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・今朝の野郎なんかまだ浮かばれねエでレールの上を迷ってるだろうよ。』『チョッ薄気味の悪イ! ねエもうこんなところは引っ越してしまいたいねエ。』女房は心細そうに言った。『ばか言ってらア、死ぬる奴は勝手に死ぬるんだ、こっちの為じゃアねエ。・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ ――遠いはてのない曠野を雪の下から、僅かに頭をのぞかした二本のレールが黒い線を引いて走っている。武装を整えた中隊が乗りこんだ大きい列車は、ゆる/\左右に眼をくばりつゝ進んで行った。線路に添うて向うの方まで警戒隊が出されてあった。線路は・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・鉱車は、地底に這っている二本のレールを伝って、きし/\軋りながら移動した。 窮屈な坑道の荒い岩の肌から水滴がしたゝり落ちている。市三は、刀で斬られるように頸すじを脅かされつゝ奥へ進んだ。彼は親爺に代って運搬夫になった。そして、細い、たゆ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・ トロッコのレールが縦横に敷かさっている薄暗い一見地下室らしく見えるところを通って、階段を上ると、広い事務所に出た。そこで私の両側についてきた特高が引き継ぎをやった。「君は秋田の生れだと云ったな。僕もそうだよ。これも何んかのめぐり合・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ また同じ褐色の路、同じ高粱の畑、同じ夕日の光、レールには例の汽車がまた通った。今度は下り坂で、速力が非常に早い。釜のついた汽車よりも早いくらいに目まぐろしく谷を越えて駛った。最後の車輛に翻った国旗が高粱畑の絶え間絶え間に見えたり隠れた・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・危ないと車掌が絶叫したのも遅し早し、上りの電車が運悪く地を撼かしてやってきたので、たちまちその黒い大きい一塊物は、あなやという間に、三、四間ずるずると引き摺られて、紅い血が一線長くレールを染めた。 非常警笛が空気を劈いてけたたましく鳴っ・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫