・・・この秋、洋々たるヴォルガ河を下り、湯浅とコーカサス、バクー油田、ドン・バス炭坑見学をした。一九二九年正月から四月いっぱい、猛烈な胆嚢炎でモスクワ〔大学〕第一附属病院に入院した。五月から十一月末までベルリン、ウィー・・・ 宮本百合子 「年譜」
マクシム・ゴーリキイは一八六八年、日本の明治元年に、ヴォルガ河の岸にあるニージュニ・ノヴゴロドに生れました。父親は早く死に、勝気で美しい母はよそへ再婚し、おさないゴーリキイは祖父の家で育ったのですが、この子供時代の生活が、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイについて」
・・・等に描かれている二十歳前後までの若いゴーリキイの生活環境の中で――ヴォルガ通いの蒸汽船の皿洗い小僧、製図見習小僧、波止場人足、そして一種の浮浪者であったゴーリキイに写真を撮ってやろうという程彼を愛する者はおそらく一人もなかったであろう。彼の・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・若い、しっかりした指物師であった父親のマクシムはゴーリキイが五つの時ヴォルガ河を通っている汽船の中でコレラで死んだ。この若い父も当時のロシアの社会に生きる勝気な青年らしい短い物語をもった人であった。 マクシムの父親というのは陸軍将校であ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・辛棒のならないそれ等の場所の息苦しさから逃げ出して、少年ゴーリキイはヴォルガ河通いの汽船の皿洗い小僧となった。到るところで彼は「ぼんやりする程激しく労働した。」そして、彼の敏感な感受性と自分の生活、人々の生活を熟考せずにはおけない気質とは、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
・・・逃げ出して、ヴォルガ河通いの船へ皿洗いとして乗組んだ。 月二ルーブリで、朝六時から夜中までぶっ通しに働かせられる合間、小学を五ヵ月行ったきりのゴーリキイは次第に本を読むことを覚え、プーシュキン、ディッケンズ、スコットなどを愛読するように・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・ ロシヤの夏といえば、ほんとに美味しい西瓜を思い出す。大きい切に塩をつけて、それをかじりながらパンをたべたりする。 ヴォルガ河を夏とおる船は、その平屋根に西瓜をのせて通っているし、この河で釣れるキスのような魚の清汁の味は実によかった・・・ 宮本百合子 「モスクワ」
・・・ 父親のマクシムはゴーリキイが五つの時、ヴォルガ河を通っている汽船の中で急病で死んだが、どちらかというと特別な生涯を経験した人であった。 その父親が死んでから、小さいアリョーシャは母親のワルワーラと一緒に祖父の家で暮すことになった。・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
一 九月十四日の夜モスクァを立ち今日はヴォルガ河を下って居ります。モスクァを立つときはステーションが間違って本当に自分の汽車の出るステーションへついたらもう出るばかり、ほとんど飛び乗るようにしてや・・・ 宮本百合子 「ロシアの旅より」
出典:青空文庫