・・・わたしは死ぬのですか? もうこの世にはいられないのですか? まあ、少し待って下さい。わたしはまだ二十一です。まだ美しい盛りなのです。どうか命は助けて下さい。 使 いけません。わたしは一天万乗の君でも容赦しない使なのです。 小町 あな・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、『昔、唐のある学者が眉の上に瘤が出来て、痒うてたまらなんだ事があるが、ある日一天俄に掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降り注いだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂けて、・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・ 折から一天俄に掻曇りて、どと吹下す風は海原を揉立つれば、船は一支も支えず矢を射るばかりに突進して、無二無三に沖合へ流されたり。 舳櫓を押せる船子は慌てず、躁がず、舞上げ、舞下る浪の呼吸を量りて、浮きつ沈みつ、秘術を尽して漕ぎたりし・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ 余は二郎とともに倶楽部を出でぬ。 一天晴れ渡りて黒澄みたる大空の星の数も算まるるばかりなりき。天上はかく静かなれど地上の騒ぎは未だやまず、五味坂なる派出所の前は人山を築けり。余は家のこと母のこと心にかかれば、二郎とは明朝を期して別・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ きょうは一天晴れ渡りて滝の水朝日にきらつくに鶺鴒の小岩づたいに飛ありくは逃ぐるにやあらん。はたこなたへとしるべするにやあらんと草鞋のはこび自ら軽らかに箱根街道のぼり行けば鵯の声左右にかしましく 我なりを見かけて鵯の鳴くらしき・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・「何かな」一天張りのきわめて単調なるものとなり了りて、ただ時に檀林一派及び鬼貫らの奇を弄するあるのみ。この際に当りて蕪村は句法の上に種々工夫を試み、あるいは漢詩的に、あるいは古文的に、古人のいまだかつて作らざりしものを数多造り出せり。・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・何だか四辺ががらんとしすぎて、いつもなら聞えない第一天の物音が、つつぬけに耳の穴へ忍び込みそうだ。カラでも早く帰って来ればいいのに。二神暫く沈黙。彼等の宮を支えている雲の柱が静に、流れ移ったり、照る光がうつろったりする。やがて・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・それはそれまで人民の主人であった公方と藩主とをはっきり臣下とよぶ天皇であり、その制度であると示された。一天万乗の君の観念はつくられ、天皇の特権を擁護するために全力をつくした旧憲法が人民階層のどんな詮索もうけずに発布された。当時の笑い草に、憲・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
出典:青空文庫