・・・が、賀節朔望二十八日の登城の度に、必ず、それを一本ずつ、坊主たちにとられるとなると、容易ならない支出である。あるいは、そのために運上を増して煙管の入目を償うような事が、起らないとも限らない。そうなっては、大変である――三人の忠義の侍は、皆云・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・また亥の日には摩利支天には上げる数を増す、朔日十五日二十八日には妙見様へもという工合で、法華勧請の神々へ上げる。其外、やれ愛染様だの、それ七面様だのと云うのがあって、月に三度位は必らず上げる。まだまだ此外に今上皇帝と歴代の天子様の御名前が書・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・氏に命じて天文を觀測せしめ民に暦を頒ちしをいひ、羲仲を嵎夷に居らしめ、星鳥の中するを以て春分を定め、羲叔を南交にやりて星火の中するを以て夏至を定め、和仲を昧谷におきて星虚の中するを以て秋分とし、和叔を朔方にをらしめて星昴の中するを以て冬至を・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・ 閏七月朔日にりよに酒井家の御用召があった。辰の下刻に親戚山本平作、桜井須磨右衛門が麻上下で附き添って、御用部屋に出た。家老河合小太郎に大目附が陪席して申渡をした。「女性なれば別して御賞美あり、三右衛門の家名相続被仰附、宛行十四人扶・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫