・・・が、何しろ一杯機嫌で、「そりゃ面白い。是非一つ見て貰おう。」と、負惜しみの膝を進めました。「じゃ僕が案内しよう。この間金談を見て貰いに行って以来、今じゃあの婆さんとも大分懇意になっているから。」「何分頼む。」――こう云う調子で、啣え楊枝のま・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 監督は一抱えもありそうな書類をそこに持って出た。一杯機嫌になったらしい小作人たちが挨拶を残して思い思いに帰ってゆく気配が事務所の方でしていた。冷え切った山の中の秋の夜の静まり返った空気の中を、その人たちの跫音がだんだん遠ざかって行った・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 橙背広のこの紳士は、通り掛りの一杯機嫌の素見客でも何でもない。冷かし数の子の数には漏れず、格子から降るという長い煙草に縁のある、煙草の脂留、新発明螺旋仕懸ニッケル製の、巻莨の吸口を売る、気軽な人物。 自から称して技師と云う。 ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・よりによって、こんな名前をつけるところは法善寺的――大阪的だが、ここの関東煮が頗るうまいのも、さすが大阪である。一杯機嫌で西へ抜け出ると、難波新地である。もうそこは法善寺ではない。前方に見えるのは、心斎橋筋の光の洪水である。そして、その都会・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・こなたは三本木の松五郎、賭場の帰りの一杯機嫌、真暗な松並木をぶらぶらとやって参ります……」 話が興味の中心に近いて来ると、いつでも爺さんは突然調子を変え、思いもかけない無用なチャリを入れてそれをば聞手の群集から金を集める前提にするのであ・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・日本にのこっている封建的感情は、ハイ・ボールの一杯機嫌で気焔をあげるにしても、すぐ生殺与奪の権をほしいままに握った気分になるところが、いかにもおそろしいことである。この種の人々は、どこの国の言葉が喋れるにしろ、それは常に人間の言葉でなければ・・・ 宮本百合子 「鬼畜の言葉」
出典:青空文庫