・・・というふうに退引きのならぬように聞いて来るので、吉田は自分のところの町名、それからその何丁目というようなことまで、だんだんに言っていかなければならなくなった。吉田はそんな女にちっとも嘘を言う気持はなかったので、そこまで自分の住所を打ち明かし・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ ここに言うホールとは、銀座何丁目の狭い、窮屈な路地にある正宗ホールの事である。 生一本の酒を飲むことの自由自在、孫悟空が雲に乗り霧を起こすがごとき、通力を持っていたもう「富豪」「成功の人」「カーネーギー」「なんとかフェラー」、「実・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・ 麹町何丁目――四谷見付――塩町――そして新宿……。その日は土曜日で、新宿は人が出ていた。俺はその雑踏の無数の顔のなかゝら、誰か仲間のものが一人でも歩いていないかと、探がした。だが、自動車はゴー、ゴーと響きかえるガードの下をくゞって、も・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・青山五丁目まで電車で、それから数町ばかり歩いて行ったところを左へ折れ曲がったような位置にあった。部屋の数が九つもあって、七十五円なら貸す。それでも家賃が高過ぎると思うなら、今少しは引いてもいいと言われるほど長く空屋になっていた古い家で、造作・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・星野君の家は日本橋本町四丁目の角にあった砂糖問屋で、男三郎君というシッカリした弟があり、おゆうさんという妹もあり兄弟挙って文学に趣味を持つという人達だったから、その星野君が女学雑誌から離れて、一つ吾々の手で遣ろうではないかという相談を持ち出・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・天沼三丁目。天沼一丁目。阿佐ヶ谷の病室。経堂の病室。千葉県船橋。板橋の病室。天沼のアパート。天沼の下宿。甲州御坂峠。甲府市の下宿。甲府市郊外の家。東京都下三鷹町。甲府水門町。甲府新柳町。津軽。 忘れているところもあるかも知れないが、これ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・その夜、馬場とシゲティとは共鳴をはじめて、銀座一丁目から八丁目までのめぼしいカフエを一軒一軒、たんねんに呑んでまわった。勘定はヨオゼフ・シゲティが払った。シゲティは、酒を呑んでも行儀がよかった。黒の蝶ネクタイを固くきちんと結んだままで、女給・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・先生、お茶の水から外濠線に乗り換えて錦町三丁目の角まで来ておりると、楽しかった空想はすっかり覚めてしまったような侘しい気がして、編集長とその陰気な机とがすぐ眼に浮かぶ。今日も一日苦しまなければならぬかナアと思う。生活というものはつらいものだ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・銀座二丁目辺の東側に店があって、赤塗壁の軒の上に大きな天狗の面がその傍若無人の鼻を往来の上に突出していたように思う。松平氏は第二夫人以下第何十夫人までを包括する日本一の大家族の主人だというゴシップも聞いたが事実は知らない。とにかく今日のいわ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・それから、五丁目あたりの東側の水菓子屋で食わせるアイスクリームが当時の自分には異常に珍しくまたうまいものであった。ヴァニラの香味がなんとも知れず、見た事も聞いた事もない世界の果ての異国への憧憬をそそるのであった。それを、リキュールの杯ぐらい・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
出典:青空文庫