・・・すると、米屋の丁稚が一人、それを遺恨に思って、暮方その職人の外へ出る所を待伏せて、いきなり鉤を向うの肩へ打ちこんだと云うじゃありませんか。それも「主人の讐、思い知れ」と云いながら、やったのだそうです。……」 藤左衛門は、手真似をしながら・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・おお、それからいまのさき、私が田圃から帰りがけに、うつくしい女衆が、二人づれ、丁稚が一人、若い衆が三人で、駕籠を舁いてぞろぞろとやって来おった。や、それが空駕籠じゃったわ。もしもし、清心様とおっしゃる尼様のお寺はどちらへ、と問いくさる。はあ・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 今なら三千円ぐらいは素丁稚でも造作もなく儲けられるが、小川町や番町あたりの大名屋敷や旗下屋敷が御殿ぐるみ千坪十円ぐらいで払下げ出来た時代の三千円は決して容易でなかったので、この奇利を易々と攫んだ椿岳の奇才は天晴伊藤八兵衛の弟たるに恥じ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ガラスの簾を売る店では、ガラス玉のすれる音や風鈴の音が涼しい音を呼び、櫛屋の中では丁稚が居眠っていました。道頓堀川の岸へ下って行く階段の下の青いペンキ塗の建物は共同便所でした。芋を売る店があり、小間物屋があり、呉服屋があった。「まからんや」・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そしてまた二つ井戸の岩おこし屋の二階にも鉄の格子があって、そこで年期奉公の丁稚が前こごみになってしょんぼり着物をぬいでいたのである。そうした風景に私は何故惹きつけられるのか、はっきり説明出来ないのであるが、ただそこに何かしら哀れな日々の営み・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・刺青をされて間もなく炭坑を逃げ出すと、故郷の京都へ舞い戻り、あちこち奉公したが、英語の読める丁稚と重宝がられるのははじめの十日ばかりで、背中の刺青がわかって、たちまち追い出されてみれば、もう刺青を背負って生きて行く道は、背中に物を言わす不良・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ある日、梅田新道にある柳吉の店の前を通り掛ると、厚子を着た柳吉が丁稚相手に地方送りの荷造りを監督していた。耳に挟んだ筆をとると、さらさらと帖面の上を走らせ、やがて、それを口にくわえて算盤を弾くその姿がいかにもかいがいしく見えた。ふと視線が合・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・夫婦の間とはいえ男はさすが狼狙えて、女房の笑うに我からも噴飯ながら衣類を着る時、酒屋の丁稚、「ヘイお内室ここへ置きます、お豆腐は流しへ置きますよ。と徳利と味噌漉を置いて行くは、此家の内儀にいいつけられたるなるべし。「さあ、お前は・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ああいう手際というものは、丁稚奉公をして五年十年遣らなければ出来ないでしょうけれども、それ以外に何かあるかと聞かれても、私には分らない。丁度人間でいいますと、やはり紳士というものに能く似ていると思う。紳士とはどんな者かというと、紳士というも・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・ ただにこれを一掃するのみならず、順良の極度より詭激の極度に移るその有様は、かの仏蘭西北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚が甘に耽るが如く、底止するところを知らざるにいたるべし。人を順良にせんとするの方便は、たまたまこれを詭激に導くの助・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
出典:青空文庫