・・・ 鬼上官は二言と云わずに枕の石を蹴はずした。が、不思議にもその童児は頭を土へ落すどころか、石のあった空間を枕にしたなり、不相変静かに寝入っている!「いよいよこの小倅は唯者ではない。」 清正は香染めの法衣に隠した戒刀のつかへ手をか・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・その次には私たちを偵察に出した、私の隊の上官が憎い。最後にこんな戦争を始めた、日本国と清国とが憎い。いや憎いものはまだほかにもある。私を兵卒にした事情に幾分でも関係のある人間が、皆私には敵と変りがない。私はそう云ういろいろの人間のおかげで、・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・が、実際の機動演習になると、時々命令に間違いを生じ、おお声に上官に叱られたりしていた。僕はいつもこの教官に同情したことを覚えている。 四四 渾名 あらゆる東京の中学生が教師につける渾名ほど刻薄に真実に迫るものはない。・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・――そんな気もあらゆる上官のようにA中尉には愉快でないことはなかった。「もう善い。あっちへ行け。」 A中尉はやっとこう言った。Sは挙手の礼をした後、くるりと彼に後ろを向け、ハッチの方へ歩いて行こうとした。彼は微笑しないように努力しな・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・それが予備軍のくり出される時にも居残りになったんで、自分は上官に信用がないもんやさかいこうなんのやて、急にやけになり、常は大して飲まん酒を無茶苦茶に飲んだやろ、赤うなって僕のうちへやって来たことがある。僕などは、『召集されないかて心配もなく・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・靴磨きは、隊におった時毎日上官の靴を磨かされていたので、経験がある。一つには、大阪で一番雑閙のはげしい駅前におれば、ひょっとして妻子にめぐり会えるかも知れないという淡い望みもあった。 ある日、いつものように駅前にうずくまっていると、いき・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ 晩に、炊事場の仕事がすむと、上官に気づかれないように、一人ずつ、別々に、息を切らしながら、雪の丘を攀じ登った。吐き出す呼気が凍って、防寒帽の房々した毛に、それが霜のようにかたまりついた。 彼等は、家庭の温かさと、情味とに飢え渇して・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 彼は考えたものだ。上官にそういう特権があるものか! 彼は真面目に、ペコペコ頭を下げ、靴を磨くことが、阿呆らしくなった。 少佐がどうして彼を従卒にしたか、それは、彼がスタイルのいい、好男子であったからであった。そのおかげで彼は打たれ・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ そのほか、いろ/\あった。 上官が見ている前でのみ真面目そうに働いてかげでは、サボっている者が、つまりは得である。くそ真面目にかげ日向なくやる者は馬鹿の骨頂である。──そういうことも覚えた。 靴の磨きようが悪いと、その靴を頚に・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・上等兵は、ここで自分までも上官の命令に従わなくって不具者にされるか、或は弾丸で負傷するか、殺されるか、――したならば、年がよってなお山伐りをして暮しを立てている親爺がどんなにがっかりするだろうか、そのことを思った。――老衰した親爺の顔が見え・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
出典:青空文庫