・・・お三輪が小竹の隠居と言われる時分には、旦那は疾くにこの世にいない人で、店も守る一方であったが、それでも商法はかなり手広くやり、先代が始めた上海の商人との取引は新七の代までずっと続いていた。 お三輪は濃い都会の空気の中に、事もなく暮してい・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・一緒に旅に出よう。上海でも、南洋でも、君の好きなところへ行こう。君の好いている土地なら、津軽だけはごめんだけれど、あとは世界中いずこの果にても、やがて僕もその土地を好きに思うようになります。これぼっちも疑いなし。旅費くらいは、私かせぎます。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・――事変以来八十九日目。上海包囲全く成る。敵軍潰乱全線に総退却。 Kは号外をちらと見て、「あなたは?」「丙種。」「私は甲種なのね。」Kは、びっくりする程、大きい声で、笑い出した。「私は、山を見ていたのじゃなくってよ。ほら、こ・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・丸の内の「グンデルビ上海」の類である。東海道を居眠りして来た乗客が品川で目をさまして「ははあ、はがなしという駅が新設になったのかなあ」と言ったのも同様である。 反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家も善鄰の誼しみを訂めている遑がなくなったようである。かつてわたくしが年十九の秋、父母に従って上海に遊んだころのことを思い返すと、恍として隔世の思いが・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・ 震災の後、上海の俳優が歌舞伎座で孫悟空の狂言を演じたことがあったが、わたくしはそれを看た時、はっきり原作の『西遊記』を記憶していることを知った。『太平記』の事が話頭に上ると、わたくしは今でも「落花の雪にふみまよふ片野あたりの桜狩」と、・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 九月五日「僕は上海だって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙や青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突き出して云いました。「上海と東・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・なし〕どうしてかと云うともし山男が洋行したとするとやっぱり船に乗らなければならない、山男が船に乗って上海に寄ったりするのはあんまりおかしいと会長さんは考えたのでした。 さてだんだん食事が進んではなしもはずみました。「いやじっ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・「おれかい。上海だよ。」「おまえはするとやっぱり支那人だろう。支那人というものは薬にされたり、薬にしてそれを売ってあるいたり気の毒なもんだな。」「そうでない。ここらをあるいてるものは、みんな陳のようないやしいやつばかりだが、ほん・・・ 宮沢賢治 「山男の四月」
・・・調されていた作家の社会性の拡大への要求、大人の文学への要求、国民の文学と称せられるものへの要求と根をつらねた文学的性格を具えている点においても、文学上相当の意味をふくんで立ちあらわれている事実である。上海その他へ出かけて、目下戦線ルポルター・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
出典:青空文庫