・・・お前たちの若々しい力は既に下り坂に向おうとする私などに煩わされていてはならない。斃れた親を喰い尽して力を貯える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。 今時計は夜中を過ぎて一時十五分を指している。しんと・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・……いや、愚に返った事は――もし踊があれなりに続いて、下り坂を発奮むと、町の真中へ舞出して、漁師町の棟を飛んで、海へころげて落ちたろう。 馬鹿気ただけで、狂人ではないから、生命に別条はなく鎮静した。――ところで、とぼけきった興は尽きず、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・が、幕府が瓦解し時勢が一変し、順風に帆を揚げたような伊藤の運勢が下り坂に向ったのを看取すると、天性の覇気が脱線して桁を外れた変態生活に横流した。椿岳の生活の理想は俗世間に凱歌を挙げて豪奢に傲る乎、でなければ俗世間に拗ねて愚弄する乎、二つの路・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかし、男は下り坂にかかると礼もいわずに、さっさといってしまいました。 独り後に残された少年は、ぼんやりと立っていましたが、なんとなく、光る石に気が引かされましたので、わざわざもどってそれを拾ってみました。それは、黒っぽい岩のような石の・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・そしてもう彼は人生の下り坂をよほどすぎて、精力も衰え働けなくなって来たのを自ら感じていた。十六からこちらへの経験によると、彼が困難な労働をして僅かずつ金を積んで来ているのに、醤油屋や地主は、別に骨の折れる仕事もせず、沢山の金を儲けて立派な暮・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・竹斎だか何だったか徳川初期の草子にも外法あたまというはあり、「外法の下り坂」という奇抜な諺もあるが、福禄寿のような頭では下り坂は妙に早かろう。 流布本太平記巻三十六、細川相模守清氏叛逆の事を記した段に、「外法成就の志一上人鎌倉より上つて・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・今度は下り坂で、速力が非常に早い。釜のついた汽車よりも早いくらいに目まぐろしく谷を越えて駛った。最後の車輛に翻った国旗が高粱畑の絶え間絶え間に見えたり隠れたりして、ついにそれが見えなくなっても、その車輛のとどろきは聞こえる。そのとどろきと交・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ これとは話が変わるが、若い人にはとにかくとしても、もはや人生の下り坂を歩いているような老人にとっては、映画の観覧による情緒の活動が適当な刺激となり、それが生理的に反応して内分泌ホルモンの分泌のバランスに若干の影響を及ぼし、場合によって・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・ これより下り坂となり、国府津近くなれば天また晴れたり。今越えし山に綿雲かゝりて其処とも見え分かず。さきの日国府津にて宿を拒まれようやくにして捜し当てたる町外れの宿に二階の絃歌を騒がしがりし夕、夕陽の中に富士足柄を望みし折の嬉しさなど思・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・不折の油画にありそうな女だなど考えながら博物館の横手大猷院尊前と刻した石燈籠の並んだ処を通って行くと下り坂になった。道端に乞食が一人しゃがんで頻りに叩頭いていたが誰れも慈善家でないと見えて鐚一文も奉捨にならなかったのは気の毒であった。これが・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
出典:青空文庫