・・・ ある年の春の長閑な日のこと、花の下にあめ売りが屋台を下ろしていました。屋台に結んだ風船玉は空に漂い、また、立てた小旗が風に吹かれていました。そこへ五つ六つの子供が三、四人集まって、あめを買っていました。 頭の上には、花が散って、ひ・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・ おじいさんは、ほとんど、毎日のようにここにきて、同じ石の上に腰を下ろしました。そして、沖の暮れ方の景色に見とれていましたが、そのうちに、バイオリンを鳴らすのでした。 おじいさんの弾くバイオリンの音は、泣くように悲しい音をたてるかと・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・山本屋の門には火屋なしのカンテラを点して、三十五六の棒手振らしい男が、荷籠を下ろして、売れ残りの野菜物に水を与れていた。私は泊り客かと思ったら、後でこの家の亭主と知れた。「泊めてもらいたいんですが……」と私は門口から言った。 すると・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・れわれの行くところでないと辞退したので、折角七円も出したものを近所の子供の玩具にするのはもったいない、赤玉のクリスマスいうてもまさか逆立ちで歩けと言わんやろ、なに構うもんかと、当日髭をあたり大島の仕立下ろしを着るなど、少しはめかしこんで、自・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・それが月から射し下ろして来る光線を溯って、それはなんとも言えぬ気持で、昇天してゆくのです。 K君はここを話すとき、その瞳はじっと私の瞳に魅り非常に緊張した様子でした。そしてそこで何かを思いついたように、微笑でもってその緊張を弛めました。・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ 折田は壁にかかっていた、星座表を下ろして来てしきりに目盛を動かしていた。「よう」 折田はそれには答えず、「どうだ。雄大じゃあないか」 それから顔をあげようとしなかった。堯はふと息を嚥んだ。彼にはそれがいかに壮大な眺めで・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・と言って志村はそのまま再び腰を下ろし、もとの姿勢になって、「書き給え、僕はその間にこれを直すから。」 自分は画き初めたが、画いているうち、彼を忌ま忌ましいと思った心は全く消えてしまい、かえって彼が可愛くなって来た。そのうちに書き終っ・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・それに町の出口入り口なれば村の者にも町の者にも、旅の者にも一休息腰を下ろすに下ろしよく、ちょっと一ぷくが一杯となり、章魚の足を肴に一本倒せばそのまま横になりたく、置座の半分遠慮しながら窮屈そうに寝ころんで前後正体なき、ありうちの事ぞかし。・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・自分は日あたりを避けて楢林の中へと入り、下草を敷いて腰を下ろし、わが年少画家の後ろ姿を木立ちの隙からながめながら、煙草に火をつけた。 小山は黙って描く、自分は黙って煙草をふかす、四囲は寂然として人声を聞かない。自分は懐から詩集を取り出し・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・うしろのアンドレア・デル・サルトたちが降りてしまったので、笠井さんも、やれやれと肩の荷を下ろしたよう、下駄を脱いで、両脚をぐいとのばし、前の客席に足を載せかけ、ふところから一巻の書物を取り出した。笠井さんは、これは奇妙なことであるが、文士の・・・ 太宰治 「八十八夜」
出典:青空文庫