・・・もっと下等な、相手があの女である必要のない、欲望のための欲望だ。恐らくは傀儡の女を買う男でも、あの時の己ほどは卑しくなかった事であろう。 とにかく己はそう云ういろいろな動機で、とうとう袈裟と関係した。と云うよりも袈裟を辱めた。そうして今・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・ペンキと電灯とをもって広告と称する下等なる装飾を試みることでもない。ただ道路の整理と建築の改善とそして街樹の養成とである。自分はこの点において、松江市は他のいずれの都市よりもすぐれた便宜を持っていはしないかと思う。堀割に沿うて造られた街衢の・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・ この憐むべき盲人は肩身狭げに下等室に這込みて、厄介ならざらんように片隅に踞りつ。人ありてその齢を問いしに、渠は皺嗄れたる声して、七十八歳と答えき。 盲にして七十八歳の翁は、手引をも伴れざるなり。手引をも伴れざる七十八歳の盲の翁は、・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・古美術品も其実三分の一は茶器である、然るにも係らず、徒に茶器を骨董的に弄ぶものはあっても、真に茶を楽む人の少ないは実に残念でならぬ、上流社会腐敗の声は、何時になったらば消えるであろうか、金銭を弄び下等の淫楽に耽るの外、被服頭髪の流行等極・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・「ばかに下等になってきたあな、よせよせ」 おはまがいるから、悪口もこのくらいで済んだ。おはまでもいなかったら、なかなかこのくらいの悪口では済まない。省作の悪口を言うとおはまに憎がられる、おはまには悪くおもわれたくないてあいばかりだか・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・椿岳の泥画 椿岳の泥画というは絵馬や一文人形を彩色するに用ゆる下等絵具の紅殻、黄土、丹、群青、胡粉、緑青等に少量の墨を交ぜて描いた画である。そればかりでなく泥面子や古煉瓦の破片を砕いて溶かして絵具とし、枯木の枝を折って筆とした事もあ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・少くも緑雨は遊ぶ事は遊んでもこの通人と同じ程度の遊びだと暗に匂わして他の文人の下等遊びを冷笑していた。壱岐殿坂時代の緑雨はまだこういう垢抜けした通人的気品を重んずる風が残っていた。 簾藤へ転じてからこの気風が全で変ってしまった。服装も書・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・そしてそれはそのカフェがその近所に多く住んでいる下等な西洋人のよく出入りするという噂を、少し陰気に裏書きしていた。「おい。百合ちゃん。百合ちゃん。生をもう二つ」 話し手の方の青年は馴染のウエイトレスをぶっきら棒な客から救ってやるとい・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ そんなことが彼の不愉快をだんだんと洗っていった。いつもの癖で、不愉快な場面を非人情に見る、――そうすると反対におもしろく見えて来る――その気持がものになりかけて来た。 下等な道化に独りで腹を立てていた先ほどの自分が、ちょっと滑稽だ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 先客の三人も今来た一人も、みな土方か立ちんぼうぐらいのごく下等な労働者である。よほど都合のいい日でないと白馬もろくろくは飲めない仲間らしい。けれどもせんの三人は、いくらかよかったと見えて、思い思いに飲っていた。「文公、そうだ君の名・・・ 国木田独歩 「窮死」
出典:青空文庫