・・・けれども門をはいることは勿論、玄関から奥へはいることも全然不徳義とは感じなかった。 妻は茶の間の縁側に坐り、竹の皮の鎧を拵えていた。妻のいまわりはそのために乾皮った竹の皮だらけだった。しかし膝の上にのせた鎧はまだ草摺りが一枚と胴としか出・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・一方の女を思い切らないで、人の婿になるちは大の不徳義だ、不都合きわまった話だ。婿をとる側になってみたまえ、こんなことされて堪るもんか」 こう言うのは深田贔屓の連中だ。「そうでないさ、省作だって婿になると決心した時には、おとよの事はあ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・稿料のことを書かないのは却って不徳義故誰にでも書くことにしている。一緒に依頼した共通の友人、菊地千秋君にも、その他の諸君にも、みんな同文のものを書いただけだ。君にだけ特別個人的に書けばよかったのであろうが、そういう時間がなかったことは前述の・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・あるいはまた、陶土採掘者が平気でいても、はたのものが承知しないで、頼まれもせぬ同情者となって陶工の「不徳義」を責めるような事件が起こることもある。陶工の得た名声や利得が大きければ大きいほど、こういう事件の持ち上がる確率が大きいようである。・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・それが急に不徳義に転換するのである。問題は単に智愚を界する理性一遍の墻を乗り超えて、道義の圏内に落ち込んで来るのである。 木村項だけが炳として俗人の眸を焼くに至った変化につれて、木村項の周囲にある暗黒面は依然として、木村項の知られざる前・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・すなわち西洋人が相手の場合には私の卑陋のふるまいを一図に徳義的に解釈して不徳義――何も不徳義と云うほどの事もないでしょうが、とにかく礼を失していると見て、その方面から怒るかも知れません。ところが日本人だと存外単純に見做して、徳義的の批判を下・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・盗んでも彼らは不徳義とも思やせぬ。むしろ正当のように思ってる。如何に無教育の下等社会だって…………しかし貧民の身になって考て見るとこの窃盗罪の内に多少の正理が包まれて居ない事もない。墓場の鴉の腸を肥すほどの物があるなら墓場の近辺の貧民を賑わ・・・ 正岡子規 「墓」
出典:青空文庫