・・・ただかえってこんな思わぬ不用意の瞬間に閃光のごとくそれを感じるだけであろうかと思われる。 この雪夜の橇の幻の追憶はまた妙な聯想を呼出す。父が日清戦争に予備役で召集されて名古屋にいたのを、冬の休みに尋ねて行ってしばらく同じ宿屋に泊っていた・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。」 しかしまた、罹災者の側に云わせれば、また次のような申し分があ・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・すると先生は天来の滑稽を不用意に感得したように憚りなく笑い出した。そうしてこれは希臘の詩だと答えられた。英国の表現に、珍紛漢の事を、それは希臘語さというのがある。希臘語は彼地でもそれ位六ずかしい物にしてあるのだろう。高等学校生徒の余などに解・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・去れど城を守るものも、城を攻むるものも、おのが叫びの纔かにやんで、この深き響きを不用意に聞き得たるとき耻ずかしと思えるはなし。ウィリアムは盾に凝る血の痕を見て「汝われをも呪うか」と剣を以て三たび夜叉の面を叩く。ルーファスは「烏なれば闇にも隠・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・曰く其角を尋ね嵐雪を訪い素堂を倡い鬼貫に伴う、日々この四老に会してわずかに市城名利の域を離れ林園に遊び山水にうたげし酒を酌みて談笑し句を得ることはもっぱら不用意を貴ぶ、かくのごとくすること日々ある日また四老に会す、幽賞雅懐はじめのご・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・私のバルザックについてかきたいところは、ある人々によって云われているようにバルザックが何でもかでも書きたいことを書いたのだがそれは歴史を正しく反映したから、我々もそうやろうということについての不用意の点です。バルザックが、今日いう意味ではリ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 眼の奥が痛い様になるほどいそいで読んでフイと首をもちあげると不用意に千世子が昨夜っからのせっぱなしにして置いた短っかい一寸した感想の様なものを真面目に肇は見て居た。 千世子はホッと顔が熱い様になった。 けれ共すぐ元に戻った青白・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・心理的にも複雑なことだから、こんな不用意な疎雑なことで完全に説明されるとは思わないが、兎に角、女性の芸術的作品に、晴々強く箇性的な男性への愛重が現れ難いのは、公平に云って女が救いようのない偽善者だからでも、石女だからでもないと思われる。何時・・・ 宮本百合子 「わからないこと」
・・・ところがその人が不用意の間に発した一言が、私には霹靂のようなショックを与えました。かえって事態は、まるで逆転してしまいました。私は思わずはっとし、まるで異なった角度から、驚いて我というものを眺めなおし得たのです。 私は更生といってよいほ・・・ 宮本百合子 「われを省みる」
・・・ロダンの不用意な問は幸にもこの腹藁を破ってしまった。「山は遠うございます。海はじきそばにございます。」 答はロダンの気に入った。「度々舟に乗りましたか。」「乗りました。」「自分で漕ぎましたか。」「まだ小さかったから、・・・ 森鴎外 「花子」
出典:青空文庫