・・・綱利は彼の槍術を賞しながら、この勝負があった後は、甚不興気な顔をしたまま、一言も彼を犒わなかった。 甚太夫の負けざまは、間もなく蔭口の的になった。「甚太夫は戦場へ出て、槍の柄を切り折られたら何とする。可哀や剣術は竹刀さえ、一人前には使え・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・「登城を許せば、その方が、一門衆の不興をうける事も、修理は、よう存じているが、思うて見い。修理は一門衆はもとより、家来にも見離された乱心者じゃ。」 そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 狂言は、それから、すっぱが出て、与六を欺し、与六が帰って、大名の不興を蒙る所で完った。鳴物は、三味線のない芝居の囃しと能の囃しとを、一つにしたようなものである。 僕は、次の狂言を待つ間を、Kとも話さずに、ぼんやり、独り「朝日」をの・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ために、浅からざる御不興を蒙った、そうだろう。新製売出しの当り祝につぶしは不可い。のみならず、酒宴の半ばへ牡丹餅は可笑しい。が、すねたのでも、諷したのでも何でもない、かのおんなの性格の自然に出でた趣向であった。 ……ここに、信也氏のため・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・おとよさんは不興な顔をして横目に見るのである。 今年の稲の出来は三、四年以来の作だ。三十俵つけ一まちにまとまった田に一草の晩稲を作ってある。一株一握りにならないほど大株に肥えてる。穂の重みで一つらに中伏に伏している。兄夫婦はいかにも心持・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・平ノ左衛門尉はさすがに一言も発せず、不興の面持であった。 しかるに果して十月にこの予言は的中したのであった。 彼はこの断言の時の心境を述懐して、「日蓮が申したるには非ず、只ひとへに釈迦如来の御神我身に入りかはせ給ひけるにや。我身なが・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・自分の不面目はもとより、貴人のご不興も恐多いことでは無いか。」 ここまで説かれて、若崎は言葉も出せなくなった。何の道にも苦みはある。なるほど木理は意外の業をする。それで古来木理の無いような、粘りの多い材、白檀、赤檀の類を用いて彫刻するが・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・エ、ペンペン草で一盃飲まされたのですか、と自分が思わず呆れて不興して言うと、いいサ、粥じゃあ一番いきな色を見せるという憎くもないものだから、と股引氏はいよいよ人を茶にしている。土耳古帽氏は復び畠の傍から何か採って来て、自分の不興を埋合せるつ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・筆者は、やはり人間は、美しくて、皆に夢中で愛されたら、それに越した事は無いとも思っているのでございますが、でも、以上のように神妙に言い立てなければ、或いは初枝女史の御不興を蒙むるやも計り難いので、おっかな、びっくり、心にも無い悠遠な事どもの・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫