・・・早婚な地方の世間ていもあるだろうが、何よりも早く倅の尻におもしをくっつけたい願望がろこつにでていた。「――牛は牛づれという。竹びしゃく作りには竹びしゃく作りの嫁があるというもんだ。たとい鼻ひくでも、めっかちでも……」 もうすわってい・・・ 徳永直 「白い道」
一 どうしても心から満足して世間一般の趨勢に伴って行くことが出来ないと知ったその日から、彼はとある堀割のほとりなる妾宅にのみ、一人倦みがちなる空想の日を送る事が多くなった。今の世の中には面白い事がなくなったというばかりならまだし・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強く、また今少し根気よく猛進したなら、自ら覆るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・堂々と玄関を構えてる医者の家へ、ルンペンか主義者のような風態をした男が出入するのを、父は世間態を気にして、厭がったのは無理もなかった。そこで青年たちが来る毎に、僕は裏門をあけてそっと入れ、家人に気兼ねしながら話さねばならなかった。それは僕に・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 私の親が私にして呉れたのと、私の親ほどな年輩の世間の他人野郎とは、何と云うひどい違い方だろう。 私は頭を抱えながら、滅茶苦茶に沢山な考えを、掻き廻していた。そして、私の手か頭かに、セコンドメイトの手の触れるのを待っていた。 私・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・は男子は分家して一戸の主人となることあるゆえ女子に異なりと言わんかなれども、女子ばかり多く生れたる家にては、其内の一人を家に置き之に壻養子して本家を相続せしめ、其外の姉妹にも同様壻養子して家を分つこと世間に其例甚だ多し。左れば子に対して親の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・夫の米リンスキーが世間唯一意匠ありて存すといわれしも強ちに出放題にもあるまじと思わる。 形とは物なり。物動いて事を生ず。されば事も亦形なり。意物に見われし者、之を物の持前という。物質の和合也。其事に見われしもの之を事の持前というに、事の・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・それにあなたは世間の事をよく御承知で、法律にもお精しいことを承知いたしています。わたくしは万事打明けてお願申すつもりでございます。わたくしの幸福と申すのは可笑しゅうございますが、わたくしの平和は、あなたのためにも、どうでもよろしい物ではござ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・そこで草臥た高慢の中にある騙された耳目は得べき物を得る時無く、己はこの部屋にこの町に辛抱して引き籠っているのだ。世間の者は己を省みないのが癖になって、己を平凡な奴だと思っているのだ。(家来来て桜実一皿を机の上に置き、バルコンの戸を鎖戸はまあ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・もしそれ曙覧の人品性行に至りては磊々落々世間の名利に拘束せられず、正を守り義を取り俯仰天地に愧じざる、けだし絶無僅有の人なり。この稿を草する半にして、曙覧翁の令嗣今滋氏特に草廬を敲いて翁の伝記及び随筆等を示さる。因って翁の小伝を・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫