・・・その音を聞きつけて、往来の子供たちはもとより、向こう三軒両隣の窓の中から人々が顔を突き出して何事が起こったかとこっちを見る時、あの子供と二人で皆んなの好奇的な眼でなぶられるのもありがたい役廻りではないと気づかったりして、思ったとおりを実行に・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・内地雑居となった暁は向う三軒両隣が尽く欧米人となって土地を奪われ商工業を壟断せられ、総ての日本人は欧米人の被傭者、借地人、借家人、小作人、下男、下女となって惴々焉憔々乎として哀みを乞うようになると予言したものもあった。又雑婚が盛んになって総・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・東京の家は、家の建ものとしてわるくはないのだが、両隣が小工場であった。一方からは、その単調さと異様な鼓膜の震動とで神経も空想も麻痺するモウタアの響がプウ……と、飽きもせず、世間の不景気に拘りもせず一日鳴った。片方の隣では、ドッタンガチャ、ド・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ 阿部一族の立て籠った山崎の屋敷は、のちに斎藤勘助の住んだ所で、向いは山中又左衛門、左右両隣は柄本又七郎、平山三郎の住いであった。 このうちで柄本が家は、もと天草郡を三分して領していた柄本、天草、志岐の三家の一つである。小西行長・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫