・・・吾妻橋から川下ならば、駒形、並木、蔵前、代地、柳橋、あるいは多田の薬師前、うめ堀、横網の川岸――どこでもよい。これらの町々を通る人の耳には、日をうけた土蔵の白壁と白壁との間から、格子戸づくりの薄暗い家と家との間から、あるいは銀茶色の芽をふい・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・この時もう我々の猪牙舟は、元の御厩橋の下をくぐりぬけて、かすかな舟脚を夜の水に残しながら、彼是駒形の並木近くへさしかかっていたのです。その中にまた三浦が、沈んだ声で云いますには、『が、僕はまだ妻の誠実を疑わなかった。だから僕の心もちが妻に通・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・その外、電車、カフエー、並木、自働(車、何れもあまり感心するものはない。 しかし、さういふ不愉快な町中でも、一寸した硝子窓の光とか、建物の軒蛇腹の影とかに、美しい感じを見出すことが、まあ、僕などはこんなところにも都会らしい美しさを感じな・・・ 芥川竜之介 「東京に生れて」
一 年紀は少いのに、よっぽど好きだと見えて、さもおいしそうに煙草を喫みつつ、……しかし烈しい暑さに弱って、身も疲れた様子で、炎天の並木の下に憩んでいる学生がある。 まだ二十歳そこらであろう、久留米絣・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 大川の瀬がさっと聞こえて、片側町の、岸の松並木に風が渡った。「……かし本。――ろくでもない事を覚えて、此奴めが。こんな変な場処まで捜しまわるようでは、あすこ、ここ、町の本屋をあら方あらしたに違いない。道理こそ、お父さんが大層な心配・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・いずれは身のつまりで、遁げて心中の覚悟だった、が、華厳の滝へ飛込んだり、並木の杉でぶら下ろうなどというのではない。女形、二枚目に似たりといえども、彰義隊の落武者を父にして旗本の血の流れ淙々たる巡査である。御先祖の霊前に近く、覚悟はよいか、嬉・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ ある日、からすは田の上や、圃の上を飛んで田舎路をきかかりますと、並木に牛がつながれていました。その体は黒と白の斑でありました。そして、脊に重い荷をしょっていました。これを見ると、さっそく、からすはその木の枝に止まりました。そして、下を・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・私は、松並木のある、長い通りを往ったり、来たりして、何の宿屋に泊ろうかと思った。ちょうど、一軒の一品料理店の前に、赤い旗が下っていた。其の店頭に立っていた女に、『舞子の町は、何の辺ですか』と聞いた。女は淋しそうな顔をしていた。『町っ・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・瀬音の高い川沿いの、松並木の断続した馬糞に汚れた雪路を一里ばかりも行ったところが、そのG村であった。国道沿いながら大きな山の蔭になっていて、戸数の百もあろうかというまったくの寒村であった。 かなり長い急な山裾の切通し坂をぐるりと廻って上・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ しかるに、ただ一人、『杉の杜のひげ』とあだ名せられて本名は並木善兵衛という老人のみが次のごとくに言った。『豊吉が何をしでかすものぞ、五年十年のうちにはきっと蒼くなって帰って来るから見ていろ。』『なぜ?』その席にいた豊吉の友が問・・・ 国木田独歩 「河霧」
出典:青空文庫