・・・ 桜並木になっている坂の小径を、深水が気どったすまし方でのぼってきた。その背中にかくれるようにして彼女がついてきた。深水も工場がえりで弁当箱をもっているが、絽羽織などひっかけている。彼女は――頭髪に白いバラのかんざしをさして、赤い弁当風・・・ 徳永直 「白い道」
・・・池の端仲町の池に臨んだ裏通も亦柳の並木の一株も残らず燬かれてしまった後、池と道路との間に在った溝渠は埋められて、新に広い街路が開通せられた。この溝渠には曾て月見橋とか雪見橋とか呼ばれた小さな橋が幾条もかけられていたのであるが、それ等旧時の光・・・ 永井荷風 「上野」
・・・それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥を運ぶ農家の車に行き逢う外、殆ど人に出会うことはない。洋服をきたインテリ然たる人物に行逢うことなどは決してない。しかし人家はつづいている。人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲ら・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・そして海岸にわずかの砂浜があってそこには巨きな黒松の並木のある街道が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建っていてそこの浜には五、六そうの舟もある。さっきから見えていた白い燈台はすぐそこだ。ぼくは船が横を通る間にだまってすっ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・曹長特務曹長「大将ひとりでどこかの並木の苹果を叩いているかもしれない大将いまごろどこかのはたけで人蔘ガリガリ 噛んでるぞ。」右隊入場、著しく疲れ辛うじて歩行す。曹長「七・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・大きな石の一の鳥居、松並木、俥のゴム輪が砂まじりの路を心持よく行った。いかにも鎌倉らしい町や海辺の情景が、冬で人が少いため、一種独特の明るい闊達さで陽子の心に映った。「冬の鎌倉、いいわね」「いいでしょ? いるとすきになるところよ、何・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
一面、かなり深い秋霧が降りて水を流した様なゆるい傾斜のトタン屋根に星がまたたく。 隣の家の塀内にある桜の並木が、霧と光線の工合で、花時分の通りの美くしい形に見える。 白いサヤサヤと私が通ると左右に分れる音の聞える様・・・ 宮本百合子 「秋霧」
・・・ 安寿は泉の畔に立って、並木の松に隠れてはまた現われる後ろ影を小さくなるまで見送った。そして日はようやく午に近づくのに、山に登ろうともしない。幸いにきょうはこの方角の山で木を樵る人がないと見えて、坂道に立って時を過す安寿を見とがめるもの・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・そうして、車体の屋根の上にとまり直ると、今さきに、漸く蜘蛛の網からその生命をとり戻した身体を休めて、馬車と一緒に揺れていった。 馬車は炎天の下を走り通した。そうして並木をぬけ、長く続いた小豆畑の横を通り、亜麻畑と桑畑の間を揺れつつ森の中・・・ 横光利一 「蠅」
・・・次々にほかの樹も芽を出して来て、それぞれに違った新緑の色調を見せる。並木に使ってある欅の新緑なども、煙ったようでなかなかいい。などと思っているうちに acceleration が止まったのである。東京の新緑が美しいといってもとうてい京都の新・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫