・・・との貿易を営み、大資本を運転して、勿論冒険的なるを厭わずに、手船を万里に派し、或は親しく渡航視察の事を敢てするなど、中々一ト通りで無い者共で無くては出来ぬことをする人物であるから、縦い富有の者で無い、丸裸の者にしてからが、其の勇気が逞しく、・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・私たちは、不相応の大きい貝殻の中に住んでいるヤドカリのようなもので、すぽりと貝殻から抜け出ると、丸裸のあわれな虫で、夫婦と二人の子供は、特配の毛布と蚊帳をかかえて、うろうろ戸外を這いまわらなければならなくなるのだ。家の無い家族のみじめさは、・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・人間は、いや、いまの人間は、どん底に落ちても、丸裸になっても、煙草を吸わなければならぬように出来ているのだろうね。ひとごとじゃない。どうも、僕にもそんな気持が思い当らぬこともない。いよいよこれは、僕の地下道行きは実現性の色を増して来たようだ・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・数え切れないほど大勢の男がみんな丸裸で海水の中に立ち並んでいる。去来する浪に人の胸や腹が浸ったり現われたりしている。自分も丸裸でやはり丸裸の父に抱かれしがみついて大勢の人の中に交じっている。 ただそれだけである。一体そんな石垣の海岸に連・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・自分の知っている老人で七十余歳になってもほとんど完全に自分の歯を保有している人があるかと思うと四十歳で思い切りよく口腔の中を丸裸にしている人もある。頭を使う人は歯が悪くなると言って弁解するのは後者であり、意志の強さが歯に現われるというのは前・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・夏の暑い盛りだと下帯一つの丸裸で晩酌の膳の前にあぐらをかいて、渋団扇で蚊を追いながら実にうまそうに杯をなめては子供等を相手にして色々の話をするのが楽しみであったらしい。松魚の刺身のつまに生のにんにくをかりかり齧じっているのを見て驚歎した自分・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・子供らが丸裸の背や胸に泥を塗っては小川へはいってボチャボチャやっている。付け木の水車を仕掛けているのもあれば、盥船に乗って流れて行くのもある。自分はうらやましい心をおさえて川沿いの岸の草をむしりながら石盤をかかえて先生の家へ急ぐ・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・遠い昔の猫の祖先が原始林の中に彷徨していた際に起こった原始人との交渉のあるシーンといったようなものを空想させた。丸裸のアダムに飼いならされた太古の野猫のある場合の挙動の遠い遠い反響が今目前に現われているのではないかという幻想の起こることもあ・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・第一の頂点では常盤と侍女と二人が丸裸にされて泣き騒ぎ、その上に無残に刺殺され、侍女の死骸は縁側から下へころがされるといういきさつが数コマに亘って描かれてあるらしい。また第二の山では牛若丸が六人の賊をめちゃくちゃにたたき斬る、そうして二つ三つ・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・四年前の戦に甲も棄て、鎧も脱いで丸裸になって城壁の裏に仕掛けたる、カタパルトを彎いた事がある。戦が済んでからその有様を見ていた者がウィリアムの腕には鉄の瘤が出るといった。彼の眼と髪は石炭の様に黒い。その髪は渦を巻いて、彼が頭を掉る度にきらき・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫