・・・尾崎はその時学堂を愕堂と改め、三日目に帝都を去るや直ちに横浜埠頭より乗船して渡欧の途に上った。その花々しい神速なる行動は真に政治小説中の快心の一節で、当時の学堂居士の人気は伊公の悪辣なるクーデター劇の花形役者として満都の若い血を沸かさしたも・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・シベリアへ来るため、乗船した前夜、敦賀で一泊した。その晩のことを思い出したりした。その港町がなつかしく如何にもかゞやかしく思い出された。何年間、海を見ないことか! 二人は、シベリアへ来てから、もう三年以上、いや五年にもなるような気がしていた・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・夜のまったく明けはなれたころ、二人は、帝国ホテルの前庭の蓮の池のほとりでお互いに顔をそむけながら力の抜けた握手を交してそそくさと別れ、その日のうちにシゲティは横浜からエムプレス・オブ・カナダ号に乗船してアメリカへむけて旅立ち、その翌る日、東・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・巡査と駅員に守られて一旦乗船したが出船間際に連れ下ろされて行った。ついさっき暴れていたとは別人のようにすごすごと下りて行った後姿が淋しかった。 札幌から大勢の警官に見送られて二十人余り背広服の壮漢が同乗したのが、船でもやはり一緒になった・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ セイラーが、乗船する時には、厳密な体格検査がある。が、船が出帆する時には、何にもない。 船のために、又はメーツの使い方のために、労働者たちが、病気になっても、その責任は船にはない。それは全部、「そんな体を持ち合せた労働者が、だらし・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
出典:青空文庫