・・・しかしそれに関らず私は何となく乾燥無味な数学に一生を托する気にもなれなかった。自己の能力を疑いつつも、遂に哲学に定めてしまった。四高の学生時代というのは、私の生涯において最も愉快な時期であった。青年の客気に任せて豪放不羈、何の顧慮する所もな・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ わたくしはこんなに手短に乾燥無味に書きます。これは少し気分が悪いからでございます。電信をお発し下すったなら、明後日午後二時から六時までの間にお待受けいたすことが出来ましょう。もうこれで何もかも申上げましたから、手紙はおしまいにいたしま・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・「これが乾燥罐だよ。」ファゼーロが云いました。「ここで何人稼いでいたって。」私はたずねました。「そうねえ、盛んにもうかったときは三十人から居たろう。」ミーロが答えました。「どうしてだめになったんだ。」 みんなが顔を見合せ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・鉄工場に働いたり、あるいは酸素打鋲器をあつかっている労働者、製菓会社のチョコレート乾燥場などの絶え間ない鼓膜が痛むような騒音と闘って働いている男女、独特な聴神経疲労を感じている電話交換手などにとって、ある音楽音はどういう反応をひき起すか、ど・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・近所の教会の連中と見え、子供がたかって意味も知らずに声を張りあげ無味乾燥な太鼓に追いまくられるようにしながら、 みィな救くゥわるゥ――と歩いている。留置場の横通りのところで暫くわざとのように太鼓をうっていたが次第に遠のき、今度はや・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・「この書を通読してまず感歎することは、宇宙の創造から一九三三年までの世界の歴史をかかる小冊子に記述しながら、決して無味乾燥な材料の羅列に終らせることなく、これを極めて興味ふかい物語に編みあげ、しかも、その中に烈々たる文化的精神を織りこん・・・ 宮本百合子 「世代の価値」
・・・奈良などの建物が古びたのは、あの乾燥した日光と熱とに照りつけられ徐に軽いさらさらした塵と化すといった風の古びかただ。長崎のは湿っぽい。先ず黝ずみ、やがては泥に成るというように感じられる。重い。そして、沈鬱だ。 昨夜深更まで碁を打って・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・引つづいて読者はひどく精密であるが全く無味乾燥なユロ男爵家の系図の中を引きまわされるのであるが、普通の読者は、その数千字を終り迄辛棒して結局は、最初の行にあった四字「ユロ男爵」だけを全体との進行の関係で記憶にとどめるような結果になる。 ・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・救いようなく空気は乾燥していた。そして、西日は実に眩しかった。 それは、ひろ子が四年間暮した目白の家の二階であった。二階はその一室しかなくて、ひろ子は、片手にタオルを握ったなり、乾いた空気に喘ぐような思いで仕事をした。 その座敷のそ・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲らせ、荒された茫々たる沙漠のような色の中で、僅かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生えていた。だが、その版図の前線一円に渡っては数千万の田虫の列が紫色の塹壕を築いて・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫