・・・「もう三時過ぎ、――四時五分前だがな。」 洋一は立て膝を抱きながら、日暦の上に懸っている、大きな柱時計へ眼を挙げた。「もう一度電話でもかけさせましょうか?」「さっきも叔母さんがかけたってそう云っていたがね。」「さっきって・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 尉官は腕を拱きて、こもまた和ぎたる体あらず、ほとんど五分時ばかりの間、互に眼と眼を見合せしが、遂に良人まず粛びたる声にて、「お通。」 とばかり呼懸けつ。 新婦の名はお通ならむ。 呼ばるるに応えて、「はい。」 と・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ と紺の鯉口に、おなじ幅広の前掛けした、痩せた、色のやや青黒い、陰気だが律儀らしい、まだ三十六七ぐらいな、五分刈りの男が丁寧に襖際に畏まった。「どういたして、……まことに御馳走様。……番頭さんですか。」「いえ、当家の料理人にござ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・三人の中でも兄さん顔の次郎なぞは、五分刈りであった髪を長めに延ばして、紺飛白の筒袖を袂に改めた――それもすこしきまりの悪そうに。顔だけはまだ子供のようなあの末子までが、いつのまにか本裁の着物を着て、女らしい長い裾をはしょりながら、茶の間を歩・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・けれども、私の傍には厳然と、いささかも威儀を崩さず小坂氏が控えているのだ。五分、十分、私は足袋と悪戦苦闘を続けた。やっと両方履き了えた。「さあ、どうぞ。」小坂氏は何事も無かったような落ちついた御態度で私を奥の座敷に案内した。小坂氏の夫人・・・ 太宰治 「佳日」
・・・身のほど知らぬぜいたくのようにも思われ、犯罪意識がひしひしと身にせまって、私は、おとといは朝から、意味もなく庭をぐるぐる廻って歩いたり、また狭い部屋の中を、のしのし歩きまわったり、時計を、五分毎に見て、一図に日の暮れるのを待ったのである。・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・麻服の上着なしで、五分刈り頭にひげのない丸顔にはおよそ屈託や気取りの影といったものがない。リットルのビールを二杯注文して第一杯はただひと息、第二杯は三口か四口に飲んでしまって、それからお皿に山盛りのチキンライスか何かをペロペロと食ってしまっ・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・だれとも知れず四五人の人々がそばにいておし黙っている。五分、三分、一分いよいよ時刻が迫ったのでずっと席を立ってその別室へはいった。その時までは死ぬことに対しては全く平気でいたのが、そこへすわった瞬間に急に死ぬのがいやになった。それはちょうど・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・剛き髪を五分に刈りて髯貯えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室の中なる女を顧みる。 竹籠に熱き光りを避けて、微かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・そうなりゃ裸と裸だ。五分と五分だ。松葉杖ついたって、ぶっ衝って見せるからな」 松葉杖! 私はその時だってほんとうは、松葉杖を突いてでなければ、歩けないほどに足が痛く、傷の内部は化膿していたのだ。 私は、その役にも立たない、腐った古行・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫