・・・そンでまア巧いこと乳にありついて、餓え死を免れたわけやが、そこのおばはんいうのが、こらまた随分りん気深い女子で、亭主が西瓜時分になると、大阪イ西瓜売りに行ったまンま何日も戻ってけえへんいうて、大騒動や。しまいには掴み合いの喧嘩になって、出て・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・夫婦一緒に出歩いたことのない水臭い仲で、お互いよくよく毛嫌いして、それでもたまに大将が御寮人さんに肩を揉ませると、御寮人さんは大将のうしろで拳骨を振り舞わし、前で見ている女子衆を存分に笑わせた揚句、御亭主の頭をごつんと叩いたりして、それが切・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・そしてまた、自分が嬶や子供の為めに自分を殺す気になれないと同じように、彼女だってまた亭主や子供の為めに乾干になると云うことは出来ないのだ」彼はまた斯うも思い返した。……「お父さんもう行きましょうよ」「もう飽きた?」「飽きちゃった・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・一生亭主と離れていても不自由ないという自信でも持ってるらしい口吻で、細君は言った。「そうだったかしれない」と耕吉も思った。「やはり俺のように愚かに生れついた人間は、自分自身に亡霊相手に一生を終る覚悟でいた方が、まだしもよかったらしい・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・なにも知らない温泉客が亭主の笑顔から値段の応対を強取しようとでもするときには、彼女は言うのである。「この人はちっと眠むがってるでな……」 これはちっとも可笑しくない! 彼ら二人は実にいい夫婦なのである。 彼らは家の間の一つを「商・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・燦爛かなる扮装と見事なる髭とは、帳場より亭主を飛び出さして、恭しき辞儀の下より最も眺望に富みたるこの離座敷に通されぬ。三十前後の顔はそれよりも更けたるが、鋭き眼の中に言われぬ愛敬のあるを、客擦れたる婢の一人は見つけ出して口々に友の弄りものと・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と、この店の亭主が言った。それぎりでたれもなんとも言わない、心のうちでは「長くあるまい」と言うのに同意をしているのである。「六銭しかない、これでなんでもいいから……」と言いさして、咳で、食わしてもらいたいという言葉が出ない。文公は頭の毛・・・ 国木田独歩 「窮死」
二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような何等の機会をも有さなかったので、親しく語を交えた事はありませんが、同君の製作をとおして同君を知った事は決して昨今ではありません。抑まだ私な・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・この弟のほうの子供は、宿屋の亭主でもだれでもやりこめるほどの理屈屋だった。 盆が来て、みそ萩や酸漿で精霊棚を飾るころには、私は子供らの母親の位牌を旅の鞄の中から取り出した。宿屋ずまいする私たちも門口に出て、宿の人たちと一緒に麻幹を焚いた・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ こういったようなことから、後で女房が亭主に話すと、亭主はこの辺では珍らしい捌けた男なんだそうで、それは今ごろ始った話じゃないんだ。己の家の饅頭がなぜこんなに名高いのだと思う、などとちゃらかすので、そんならお前さんはもう早くから人の悪口・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫