・・・それは、戦争が人間を殺し、人間に、人間らしい生活をさせないからである。そこでは、人間である個人の生活がなくなってしまう。常に死に対する不安と恐怖におびやかされつゞけなければならない。だから戦争は、悪く、戦争は、いやな、嫌悪さるべきものである・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・この世の中のひとりでも不幸な人のいる限り、自分も幸福にはなれないと思う事こそ、本当の人間らしい感情でしょうに、自分だけ、あるいは自分の家だけの束の間の安楽を得るために、隣人を罵り、あざむき、押し倒し、まるでもう地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩を・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・さいわいにも、あなたに、少しでも人間らしいお心がございましたら、今後、態度をおあらため下さることを確信いたします。ゆめにさえ疑い申しませぬ。明瞭に申しますれば、私は、貴方も、貴方の小説も、共に好みませぬ。毛虫のついた青葉のしたをくぐり抜ける・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ とにかく、これでもかこれでもかと眼新しい趣向を凝らして人性の自然を極度に歪曲したものばかり見せられている際に、たまたまこういう人間らしい平凡な情味をもった童話的なものに出会うと清々しい救われたような気持がするから妙である。 ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 名利観に限らず、この著者は色々な点で人間の人間らしい人間性というかあるいは弱点というか、そういうものを事実として肯定した上で、これに対するプラグマチックな処世道を説いているようなところがある。第五十八段に実用向遁世法を説いているのなど・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・呉服売場や陳列棚の前で見るような恐ろしい険しい顔はあまりなくって、非常に人間らしい親しみのある顔が大部分を占めている。この食堂を発案したのはだれだか知らないが、その人はいろいろな意味でえらい人のように思われる。 食堂のほかには食品を販売・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・しかし、その男が元来どうしてそれほどまでに猫を可愛がるようになったかという過程を考えてみる、そうすると彼の周囲の人間が、少なくも彼の目から見て、彼の人間らしい暖かい心を引出す能力を欠いていたのではないかという疑いが起る。もしそうだとすると彼・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・実業家などがむずかしい相談をするのにかえって見当違の待合などで落合って要領を得ているのも、全く酒色という人間の窮屈を融かし合う機械の具った場所で、その影響の下に、角の取れた同情のある人間らしい心持で相互に所置ができるからだろうと思います。現・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・ かく社会が倫理的動物としての吾人に対して人間らしい卑近な徳義を要求してそれで我慢するようになって、完全とか至極とか云う理想上の要求を漸次に撤回してしまった結果はどうなるかと云うと、まず従前から存在していた評価率が自然の間に違ってこなけ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・本も何も買えなくても善いから為替はみんな下宿料にぶち込んで人間らしい暮しをしようという気になる。それからステッキでも振り回わしてその辺を散歩するのである。向へ出て見ると逢う奴も逢う奴も皆んな厭に背いが高い。おまけに愛嬌のない顔ばかりだ。こん・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫